2020年10月17日
「絶対不可能」。そう断じられることもあったほどの難題――経営破綻した日本航空(JAL)の再建を見事に成し遂げた稲盛和夫さん。いまや「新・経営の神様」とも称されるその手腕・哲学は業界を超え、国境を超えて学びの対象となっています。しかし多くの著作で語られているように、稲盛さんが無理難題に向かって果敢に挑戦する例はJAL再建が最初ではありません。KDDIの前身である第二電電もまさに画期的な事業でした。『致知』1997年6月号から、第二電電創立当時の心中を語った内容をご紹介します。
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無謀な戦いであることは分かっていた
善きことを追求することで、事業を発展させることができる、と私は信じておりますし、自分自身でも実行してきたつもりです。一つの実例として、いまから13年前に第二電電という会社を設立した時のお話をしたいと思います。
京セラという会社が少し大きくなったからといって、なぜ電気通信事業に乗り出すのか。また、東京の経営者ではない、関西の、しかも京都の事業家が全国ベースの事業に乗り出すというのは、何か思い上がっているのではないか。
当時はこのようなことを、多くの新聞・雑誌に書かれました。
私は自分が長距離電話の会社をやることになろうとは思ってもおりませんでした。しかし海外でも事業をしておりますので、日本の通信料金が非常に高いということは身に染みて感じていました。なんとか競争の原理が導入されて、国民が安い料金で電話を使えるサービスが必要だと思っているところでした。
けれども、何兆円という売り上げを上げる巨大な企業、明治以来ずっと独占でやってきたNTTに対抗できるような企業はできるのだろうか。できるとしたら、経団連を中心とした日本の大企業が連合体をつくる以外に、NTTに対抗できるものはないだろうと思っていました。
民間でなんとか早く連合体をつくってNTTに対抗し、料金を安くしてくれないものかと思っておりましたが、巨大なNTTに立ち向かうにはあまりにリスクが伴うというので、どこも名乗りを上げません。
そのうちに私は日本の大企業が連合体をつくってNTTに対抗しても、本当の意味での競争にはならないのではないか。利権の分け合いをするだけで、一般国民から見ると、競争をしたように見えるけれども、実際は若干安くなった程度の料金でお茶を濁してしまうのではないか。こう思うようになりました。
新しい電気通信事業には、我われのような若い者が燃えて、21世紀に向けて新しいチャレンジをすることが必要なのではないか。
そういうことを思い始めたら矢も楯もたまらなくなって、自分の立場もわきまえず、自分の会社の力もわきまえず、闇雲にNTTに挑戦しようと思い始めたのです。
無謀な戦いだということはよくわかっていました。
しかし考えれば考えるほど、諸外国に比べて大変に高い通信料金を安くしてあげなければ、国民の方々に対して申し訳ないという思いが募ってきました。
NTTの若い技術屋さん、私と親しい人たちに集まってもらって、どうすればNTTに対抗できるかということを議論し、計画を練りました。なんとかやれるのではないかというところまでたどり着きましたが、実際踏み切るとなると、大変に悩みました。
動機善なりや。私心なかりしか
いまでも当時のことはよく思い出します。悩み抜いた揚げ句、私は家に帰って寝る前に、自分は新しい会社をつくって、無謀にもNTTに挑戦しようとしているけれども、それは正しいことなのかどうかを、毎晩自問自答することにしたのです。
「動機善なりや。私心なかりしか」
という文章を自分でこしらえて、それを毎晩唱えるわけです。
新しい通信会社をつくってNTTに対抗しようとするのは、国民のために料金を安くしてあげたいからだ、と自分ではいっているし、思っているけれども、それはきれいごとではないのか。
京セラという会社を京都につくって成功し、少し有名になったものだから、さらに東京という檜舞台へ出て行って、大向こうを捻らせるような大見栄を切りたいという自己顕示欲があるのではないか。
自分がやろうとしていることは本当に人のためを思ってやることなのか、私利私欲ではないのか。
それを私は「動機善なりや。私心なかりしか」という言葉を唱えながら、自分に厳しく問いつづけたのです。
半年間、一日も休まず、自問自答を繰り返しました。そして私の思いは決して私利私欲に端を発したものではない、という結論にたどり着きました。国民のため、世のため人のために、犠牲を払ってでもやろうとしている自分の気持ちに、嘘偽りはないということがわかりました。
そこで、役員会で自分の気持ちを話し、
「大企業の方々もリスクが大きいというので、なかなかおやりにならないから、自分がやってみたい」
ということを話しました。
そのころ、京セラには、現預金で1500億円ありました。だから、「もし失敗しても1000億注ぎ込んだら撤退するので、1000億はどぶに捨てたつもりでやらせてほしい」ということをいって乗り出したわけです。
(本記事は『致知』1997年6月号 特集「生きる」より一部を抜粋・再編集したものです)
◇稲盛和夫(いなもり・かずお)
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昭和7年鹿児島県生まれ。鹿児島大学工学部卒業。34年京都セラミック(現・京セラ)を設立。社長、会長を経て、平成9年より名誉会長。昭和59年には第二電電(現・KDDI)を設立、会長に就任、平成13年より最高顧問。22年には日本航空会長に就任し、27年より名誉顧問。昭和59年に稲盛財団を設立し、「京都賞」を創設。毎年、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。また、若手経営者のための経営塾「盛和塾」の塾長として、後進の育成に心血を注ぐ(現在は閉塾)。著書に『人生と経営』『「成功」と「失敗」の法則』『成功の要諦』(いずれも致知出版社)など。