2024年05月27日
明治35(1902)年に旗揚げされた木下サーカスは、いまや世界三大サーカスの一つに数えられ、専売特許と言える数々の曲芸を武器に突出した集客力を誇っています。しかしこれまでの道のりは決して平坦ではなく、時代の流れと共にその歴史が途絶えかかったこともあったといいます。4代目社長・木下唯志さんに、社長就任の経緯と、華やかな興行の裏で心の支えにしてきたことについてお話しいただきました。
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これも一つの人生
〈木下〉
私の父にあたる2代目木下光三は大阪にあった大きな薬問屋の生まれで、養子として木下家に迎えられると、天性の経営手腕で社業の発展に努めました。そして私の兄で3代目木下光宣は、人徳溢れる指導力で会社を引っ張っていたのですが、平成3年に突然病に倒れると、その1年後に44歳の若さで亡くなりました。
それで私が跡を継ぐことになったわけですが、実はその当時、会社の負債は既に10億円に達していたんですよ。
――十億円も。
〈木下〉
戦後も興行はずっと順調で、昭和56年に開かれた神戸ポートアイランド博覧会「ポートピア・サーカス」の時には、半年で160万人もの人たちが訪れるなど大盛況だったのですが、それをピークにお客様が徐々に集まらなくなっていったんです。
63年に行われた瀬戸大橋博覧会では何億円という損失が出るようになって、銀行からの借り入れも嵩んでいきました。時代の変化でしょうね。いつまでも二番煎じ三番煎じのサーカスでは人が集まらないと。兄はかなり丈夫な体の持ち主でしたけど、何年も赤字が続いたことで精神的に追い詰められていったのだと思います。
――それで倒れられたと。
〈木下〉
当時社員は70名くらいいたのですが、会社の行く先に不安を感じた社員たちが、私が社長に就任すると会社を次々と去っていきました。税理士からは返済は無理だろうから、経営をやめたほうがいいとまで言われました。
――それでも社長を引き受けられたのはなぜですか。
〈木下〉
祖父の代から続いてきた木下サーカスを守りたいという一心ですね。それに、社長を引き受けるにあたっては、「これも一つの人生なのだ」ということを自分に言い聞かせていました。
一瞬一瞬を生きる
〈木下〉
社長就任当時、私は40代半ばにも達しておらず、古参の幹部からすれば小僧みたいなもので、何かと父や兄と比べられるんですよ。それに幹部がそんな状態だから、社員も身勝手とまでは言わなくても、皆それぞれ自分が偉いと思っているから組織はキチッとされていない状態でした。
そういう中でやっていくのは、大変なわけですよ。でもどんな辛い時でも、「一日一死」の思いでやってきました。
―― 一日一死、ですか。
〈木下〉
私は明治大学時代、剣道部に所属していました。最初は全くの初心者だったので、当時師範だった森嶋先生というすごい方がいることも知らずに入ったんです。その先生はとにかく厳しい方で、出身大学の国士舘には学生時代に使っていた血の滲んだ木刀が飾られていて、警視庁では首席を取られていたんですよ。
当然、指導もものすごく厳しくて、最初の頃は同輩たちも道場に行くのが嫌なわけです。足が竦む。それくらい厳しい稽古でしたから。
そんな私に、ある先輩が教えてくれたのが「一日一死」という言葉でした。とにかく道場に一歩足を踏み入れたら、きょう一日で自分は死ぬんだと覚悟を決めろと。
それまでの私は、その日の稽古をしながら、明日も明後日もこんな苦しい日が続くのかと思っては、気が滅入っていたんですよ。ところが先のことを思い煩うことなく、一瞬一瞬を生きればいいんだと思ったら、何だかものすごく心が救われましてね。そのおかげで20人いた同期のうち、卒業まで残った4人の一人になることができたんですよ。
――剣道部での4年間で培ったものが原動力になったわけですね。
〈木下〉
そうです。負債のことや社内の人間関係をいくら思い煩っても何も変わりません。それよりもどんなに辛くても、きょう一日をどう生きるかに集中しようと。
(本記事は『致知』2016年6月号 特集「関を越える」より一部を抜粋・編集したものです) ◎各界一流プロフェッショナルの珠玉の体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。あなたの人間力を高める、学び続ける習慣をお届けします。 たった3分で手続き完了、1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら。 ≪「あなたの人間力を高める人間力メルマガ」の登録はこちら≫
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◇木下唯志(きのした・ただし)
昭和25年岡山県生まれ。岡山県立操山高等学校を卒業後、明治大学に進学。49年木下サーカス入社。平成3年4代目社長に就任、現在に至る。