柱を削って薪代わりに。極貧を乗り越えた幕末の英傑・勝海舟

江戸城無血開城を成功へと導き、百万の町民を守った幕末の英傑・勝海舟。その歩みは苦難の連続でした。自身が幼い頃から海舟に魅了されてきたという、米沢藩士末裔の石川真理子さんに、自省自修の人・勝海舟の原点に迫っていただきました。

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海舟が大好きだった父の思い出

〈石川〉
幼い頃、父が私の手を引いてよく連れて行ってくれたのが、「洗足池(せんぞくいけ)」と呼ばれる小さな池でした。そこは生家からゆっくり歩いて小一時間のところにあって、歌川広重の「名所江戸百景」に描かれるほど、風光明媚な情景が広がっていました。

洗足池の畔に立つ勝海舟のお墓の前まで来ると、父はいつも決まって海舟の話を始めました。それだけ父は海舟が大好きだったのでしょう。

その場所で私は勝海舟と出逢ったのです。

もっとも、父が朗々と話してくれたことを、いまは何一つとして思い出すことができません。その代わり、当時私の中に印象として強く残ったのは、海舟がいかに立派な人物であったかという人間像でした。

それだけに、『氷川清話』『海舟座談』などを学生時代に読むようになって感じたのは、

「勝海舟だったら、このくらいのことは言うだろう」
「こういう見方をして当然だ」

といったことばかりでした。その頃から、海舟は私にとって大変身近な存在になっていたのです。

子供の頃から様々な歴史上の人物について学んできましたが、今日に至るまでつかず離れずといった感じで接してきた海舟は、私の心の中心を占める人物の一人になっているのです。

孤独に耐え、打ち克った若き日

勝海舟は一生を通じて本当に様々な関を越えてきましたが、私は勝海舟として生まれてきたことそのものが既に関であったと思うのです。

人は誰もが奇跡的に、同時に必然的にこの世に生を享け、一人ひとりが何らかの役割を与えられているといってよいでしょう。その中には、1,000人に一人、もしくは10,000人に一人くらいの割合で、「この人でなければできない」という天命をもって生まれてくる方がいます。

大昔で言えば、釈尊、キリスト、そして孔子などが挙げられますが、そういう方々は一様に大変辛い思いをしています。

海舟もまた、天命をもって生まれてきた人物だったのでしょう。お金があればそのすべてをお酒に使ってしまう父親と、苦しい生活をじっと辛抱する母親を持った海舟は、いまでは考えられないくらい貧乏な家庭で育ちました。

しかも7つになると、犬に男性の急所を噛まれて大怪我をしてしまいます。

医者には「この子は無理かもしれない」と見放されるのですが、「そんなバカなことはあるものか」と息巻く父・小吉が渾身の介護をします。高熱に侵され、生死の境を彷徨いながらも一命を取り留めた海舟は、やはり生きていく運命にあったのでしょう。

70歳を越えても、極貧生活に変わりはありませんでした。22歳で蘭学の勉強を始めようと志すも、蘭和辞典を買うお金すらありません。

そこで赤城某という蘭医に『ズーフハルマ』(全58巻)を1年間10両で借りると、その1年間で写本を2部完成させてしまう。大変な根気です。しかもそのうちの1部を売ってお金にしています。けれど、それも父の借金返済に充てたために、手元にはほとんど残りませんでした。

『勝海舟伝』には筆写本の巻末に海舟が書き記した言葉が紹介されています。

弘化四丁未秋、業につき、翌仲秋二日修業。予(よ)この時貧(ひん)骨(ほね)に到り、夏夜かや無く、冬夜衾(ふすま)無し。唯(ただ)、日夜机によつて眠る。しかのみならず、大母病床に在り、諸妹幼弱(ようじゃく)、事を解せず。自ら椽(たるき)を破り柱を割つて炊く(以下省略)。

夜は寝る間を惜しんで筆写に励む一方、病に伏した母や幼い妹たちの面倒も見ていたことが分かります。多額の借金を抱えているため食べる物はほとんどなく、しかも煮炊きをするにも柱を削って薪代わりにするのですから想像を絶します。

それだけに、先の文章からは、そういった境遇にありながらも、「この筆写をやり抜いたぞ」という海舟の感極まる思いが私には感じられるのです。

一人静かに孤独に耐え、打ち克った姿に、華やかなスポットライトが当てられることはありませんでした。しかし、私はここにこそ、海舟のすごさを見る思いがするのです。


(本記事は月刊『致知』2016年6月号 特集「関を越える」より一部を抜粋・編集したものです)


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 ◇石川真理子(いしかわ・まりこ)
昭和41年東京都生まれ。12歳まで米沢藩士の末裔である祖母中心の家で、厳しくも愛情豊かに育てられる。文化女子大学(現・文化学園大学)卒業。編集プロダクション勤務を経て、結婚後は作家として活動。著書に『女子の武士道』『女子の教養』『活学新書 勝海舟修養訓』(いずれも致知出版社)がある。

◇勝 海舟(かつ・かいしゅう)
文政6(1823)年~明治32(1899)年。長崎海軍伝習所に学ぶ。万延元(1860)年咸臨丸艦長として渡米。元治元(1864)年軍艦奉行に就任、神戸に海軍操練所を開き、幕臣のほか諸藩の学生、志士を教育。戊辰戦争では江戸城の無血開城に尽力した。新政府で海軍大輔などを歴任。

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