2018年09月05日
エステ界の第一人者で、現在神戸市に8店舗のエステサロンを経営するラミール社長の河村京子さん。仕事でも私生活でも、困難が直面した際、常に言葉やイメージの力で以て、人生を切り開いてこられたと言います。
旦那の女遊び・多額の借金に耐えた日々
河村さんは大手化粧品メーカーの美容部員としてキャリアをスタートし、コツコツと努力を重ねることで、数名のみが選ばれる精鋭の販売部員に選出されます。30代でエステティックの世界に転身し、そこでも世界的なエステティシャン組織の日本代表にも選ばれるなど、持ち前の向上心と明るさで以て大活躍をされました。
しかし、無我夢中に仕事に没頭する一方で、私生活では苦しい時期が長年続いたと言います。
「私は21歳の時に結婚し、その後3人の子供を授かりました。しかし、主人は働かずに遊び呆け、次々に借金をするし、揚げ句の果てには他の女性と結婚の約束までして帰ってくるような人でした。子育てと仕事だけでも大変なのに、朝の5時、6時から借金の取り立て屋が来るんです。既に家賃や光熱費も半年間滞納していて、所持金は1,000円もない。そんなどん底の生活を強いられ、苦悩した時期が何年か続きました。
その時、私を支えたのがノートと読書でした。30代の頃から、自分の気持ちを整えるために、その時の感情や夢・目標をノートに書き留めていたんです。それは誰から言われたわけでもありませんでしたが、文字にして思いを吐き出さずにはいられない心境だったのかもしれません。
ノートには腹が立ったことや悔しかったことなど、赤裸々に綴ってあるんですけど、最後には必ず、『絶対よくなる、ありがとうございます』と書くよう心掛けました。また、夢や目標を大きな字で書いたり、『必ず成功する。どんどんよくなる』『私は綺麗。私は素晴らしい』といったプラス言葉を毎日書き続けていましたね。
言葉やイメージの力って無限大です。言い続け、思い続け、やり続ければ、夢は必ず実現するんですね。私は20代の頃から、抱き続けた夢をすべて叶えることができました」
私心ゼロでエステサロンを起業する
そんな河村さんが55歳の時、大きな転機が訪れます。当時20社のエステサロンの顧問を務める中で、ある顧問先の会社の幹部社員から、「利益ばかりを追求するのではなく、本当にお客様のためになる、理想のお店をつくりたい」と相談され、経営を手伝ってほしいと懇願されたというのです。
当時の思いをこう述懐されています。
「非常に悩みました。傍から見れば顧問先の社員を引き抜いて会社をつくることになるのですから、他の顧問先から何を言われるか分かりません。最悪、顧問をやめざるを得なくなるかもしれない。
その時にたまたま手にした京セラ名誉会長・稲盛和夫さんの本の中で出逢ったのが、『動機善なりや、私心なかりしか』というひと言でした。稲盛さんは第二電電(現・KDDI)を創業する際、何度もこの言葉を自分の胸に問いただしたそうです。私も自問自答を重ねた末に、『私心は一切ない。儲けのためではなく、この子たちのためだけに会社をつくろう』『顧問先すべてを敵に回したとしても、この事業をやり遂げよう』と覚悟が定まり、1998年、55歳の時に社員5名と起業しました」
河村さんは強い覚悟と思いを持って企業され、その強固な信念に多くの人が共鳴したのでしょう。河村さんの心配は杞憂に終わり、その他すべての顧問先の方々が河村さんの決断を応援し、資金援助までしてくださった会社もあったというのです。
店舗の拡大も、お客様の数が増えベッドが足りなくなったり、店長になれる人材が育ったことで、自然と新規出店を重ねることができたのだそう。
「言い続け、思い続け、やり続ければ、夢は必ず実現する」という河村さんの信念を象徴するエピソードです。
(本記事は『致知』2018年10月号 特集「人生の法則」より一部抜粋したものです) ▼独立、転勤、転職、昇進、第二の人生……この春、新たなステージに挑戦するあなたへ
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◇河村京子(かわむら・きょうこ)
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昭和19年大阪府生まれ。高校卒業後、大手化粧品メーカーを経て、エステティシャンの道に進む。世界40か国以上が加盟する「ヌーヴェルエステティック」の日本代表を務める傍ら、美容関連会社の顧問や全国各地で講演・美容指導を行う。深い美容知識と胸を打つ言葉が好評で、これまでに500店舗以上の指導を行う。平成10年神戸にてエステティックサロン・ラミールを創業。今年創業20周年の節目を迎える。