エブリデー・マイ・ラスト——東京都立小山台高校野球班に大輔が遺したもの

公立勢72年ぶりの2年連続決勝戦進出を決めた東京都立小山台高校小山台高校は難関大学に多くの合格者を出す有数の進学校としても知られ、毎日午後5時完全下校、グランドのスペースも限られた厳しい練習環境の中での健闘でした。

その強さの原点には、2006年6月にエレベーター事故で亡くなった部員・市川大輔(ひろすけ)君が遺した「エブリデー・マイ・ラスト(毎日、今日が最後というつもりで精いっぱい生きる)」という精神がありました。当時から監督を務める福嶋正信さんに、小山台高校に受け継がれる大輔君の精神、そして甲子園に掛ける思いを語っていただいた記事をご紹介します。

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大輔のためにも笑顔で

(福嶋)
忘れもしない、あの事故が起こったのは、私が野球班(部)監督として東京都立小山台高校に赴任し、2年ほど経った2006年6月3日のことでした。

「福嶋先生、夏の大会も一か月に迫ったので新しいバットを買いに行きたいのですが、大輔も連れていっていいですか?」

市川大輔は、当時2年生唯一のレギュラー。派手さはないけれど、何事にもコツコツと一所懸命に取り組む、誰からも信頼される選手でした。私は、「いいぞ、大輔も先輩といっしょに行ってこいよ」と、練習が終わった後に、子供たちを近くのスポーツ店に送り出したのです。

しかし、それが大輔との今生の別れになるとは、夢にも思いませんでした。皆で購入したバットを手に帰宅の途に就いた大輔は、自宅マンションに設置されていたシンドラー社製のエレベーターに挟まれる事故に遭い、帰らぬ人となったのです。大輔は手にバットを握り締めたまま亡くなっていたといいます。

あの時、大輔を買いに行かせなかったなら……。事故後、私も生徒たちも、大輔のことが悔しくて、悲しくて、大粒の涙が止めどなく溢れ、練習することさえままなりませんでした。

そんな私たちに、再び前を向いて一歩を踏み出す力を与えてくれたのが、大輔のお母さんから届いた、「皆さん、悲しい顔で練習をしていたら大輔が泣きます。だから笑顔で練習してくださいね」というお手紙。そして大輔が野球日誌に書き残した次のような言葉の数々でした。

「当たり前のことを当たり前にやる。でもそれが難しい」
「一分一秒を悔いのないように生きる。精いっぱい生きる」
「エブリ デイ マイ ラスト」

泣いていてはいけない、大輔のためにも笑顔でプレーしよう、毎日を精いっぱい生き、絶対に甲子園にいこう。

小山台は都内有数の進学校で、練習スペースも時間も限られており、甲子園はおろか上位進出さえ難しいのが現実でしたが、大輔の事故をきっかけにして、チームとしての絆が深まり、必死に練習に励むようになったのです。

私もまた、大輔が遺した言葉をもとに、「日常生活に野球の練習がある」「何事もコツコツ努力する先に光があるんだ」と、選手たちに心の持ち様や、日常の基本姿勢の大切さを、以前に増して強調するようになりました。

赤とんぼに姿を変えてやってきた大輔

そのような〝大輔のために〟という私たちの思いが、天国の大輔に届いたのでしょうか。

事故から4か月後に行われた千葉経大附高との試合中、ベンチに座っていると1匹の赤トンボが私の膝に止まり、じっと動こうとしません。私はハッとして、思わず「大輔か?」と手を伸ばすと、赤トンボは私の指にしっかり止まったのでした。

さらに指から離れていった赤トンボに「おい、大輔!」と呼び掛けると、またぴゅーっとベンチに舞い戻ってくる。その瞬間、私も選手たちも涙が溢れて止まらなくなりました。奇しくも大輔が最初に活躍してレギュラーを勝ち取ったのがこの千葉経大附高のグラウンド。大輔は赤トンボに姿を変え、私たちのもとに戻ってきたのです。

その後も、赤トンボは何度もやってきました。例えば2009年秋の公式戦、2013年秋の本大会の早実戦でも現れ、奮起した私たちは粘り強く戦い勝利を得ることができました。

「大輔は生きている。私たちと一緒に戦ってくれている」

やがて、何事にも一所懸命取り組み決して手を抜かない、大輔が教えてくれた生き方は、小山台野球班の伝統精神として根づき、目に見える結果として表れるようになっていきました。

2009年と2012年の夏の大会では、強豪校を破り準々決勝まで進出。周囲からも一目置かれるチームへと成長を遂げたのです。もちろん、選手の練習や精神面も含め、加藤尚彦先生、田久保裕之先生、大谷あけみ先生、才野秀樹先生といった多くの方々のサポートがあったことも忘れてはいけません。

大輔のためにも甲子園を目指し続ける

そんな最中の2014年1月に、嬉しい知らせが私たちのもとに飛び込んできます。これまでの実績、他校や地域によい影響を与えてきたことなどを考慮して選ばれる春の選抜高等学校野球大会(甲子園)の出場枠「21世紀枠」に、小山台が都立として初選出されたのです。

「大輔、一緒に甲子園にいけるぞ!」と喜びが込み上げてくると同時に、選んでいただいた恩に報いる試合をしなければと身が引き締まる思いでした。

3月21日。万全の準備をして迎えた甲子園の初舞台でしたが、結果は初戦敗退という厳しいものでした。しかし、その悔しさを胸に、21世紀枠出場校に相応しい実力、品格を備えたチームになろうと改めて皆で誓い合うことができました。

そして、そんな私たちを大輔は身近で見守ってくれていたようです。ある選手のお母さんが甲子園で着用したユニフォームを洗濯しようとポケットに手を入れてみると、赤トンボの絵がびっしりと刺繍されたえんじ色の布切れが出てきたのです。

しかも、関係者の誰一人として、その布切れのことを知らないと言います。いまも真相は分かりませんが、おそらく大輔はいてもたってもいられず、空から舞い降りてきて私たちを応援してくれていたのでしょう。

大輔が亡くなってから早9年が経ちました。しかし、小山台野球班の一人ひとりが一日一日を精いっぱい生き、全力でプレーする姿を見せ続けていく限り、大輔が遺した思い、メッセージは、永遠に人々の心の中に生き続けていくはずです。そのためにも、私はこれからも力の限りグラウンドに立ち続けます。

(本記事は『致知』2016年4月号「致知随想」より一部を抜粋・編集したものです)

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◆福嶋正信(ふくしま・まさのぶ)
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1955年(昭30)11月24日、熊本生まれ。八代東で73年夏の甲子園に一塁コーチで出場。日体大卒業後、江戸川などを経て小山台へ。14年センバツに「21世紀枠」で都立初出場。指導モットーは「1に生活、2に学業、3に野球」。教科は保健体育。

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