混迷の時代にこそ〝心の冒険〟を——西行、若山牧水の詩歌に日々を愉しむ術を見出す(歌人・佐佐木幸綱)

約120年前に自身の祖父らが創刊、現存する日本最古の短歌誌として知られる『心の花』を主宰する佐佐木幸綱さん。80歳を超えたいまなお、現代における短歌の魅力を広く発信し続けています。この混迷の時代に、人の心を豊かにしてくれるものは何か――。古き良き日本の詩歌を交え、その愉しみ方を語っていただきました。

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詩歌づくりは冒険

〈佐々木〉
私は詩歌を作ることは「言葉」と「心」の冒険をすることだと考えています。

例えば、普通の人は一生「ぬばたまの」なんて言葉は使いません。辞書にはある言葉でも、使ったことのない言葉はいっぱいあります。それを使わなくても日常生活に支障はない。それをあえて使うのは一つの言葉の冒険だと思うのです。

お金は使うと減りますが、言葉は使って初めて、その人のものになるわけですから、使えば使うほど自分の言葉は増えていきます。そうやって使ったことのない言葉を冒険することによって、より豊かな世界が開けていくのです。

さらに詩歌を作っていると、いままで考えたことのないことを考えることがあります。それは、いままで行ったことのない自分自身の心の奥底や辺境を冒険しているということなのです。例えば、自分の家の近所でも何となく行ったことのない路地とか横丁とかがあるものです。それと同じで、自分の心の中にも行ったことのない場所というのがあるのです。

それは自分の弱さであったり、卑怯な心であったりと、人間はそういう自分のいやな面をなるべく見ないようにして生きているわけです。そこにあえて行ってみる。そういう「心」の冒険をすることによって、新たな自分を発見することができるのでしょう。

こうしたいろいろな「言葉」と「心」の冒険を重ねている人の作品はおもしろい。特に私がおもしろいと思っているのは西行です。

例えば「すごし」という言葉は、西行が生きた時代の口語で、文語で書かれた短歌ではほとんど使われませんでした。ところが、西行は「すごし」という言葉を見事に使いこなしているのです。

古畑のそばに立つ木にゐる鳩の
友呼ぶ声のすごき夕暮

夕方、人けのない捨てられたような畑の果の崖に立つ木の上で鳩が鳴いて友だちを呼んでいる。その鳴き声がなんとも「すごき夕暮」だと言ってるのですが、「すごき夕暮」という表現はその時代の人が使わなかった「すごき」を使っているだけにかえって新鮮で、夕暮れの静寂の中での孤独感が表現されているように思うのです。

私たち人間は自然の一部

日本の詩歌はもともと季節の移り変わりを一つの大きなテーマにしてきました。

人間が日々、変化するように自然も変化する。なぜ季節をテーマにするのかというと、みんなが等しく共有できるテーマだからです。男でも女でも、金持ちでも貧乏人でも、年寄りでも子どもでも、みんなに等しく春は来るわけで、それを共通の話題として共感することができるのです。

また、そこが古典が現代につながる一つのポイントだとも思っています。『万葉集』の時代の春と同じ春が、いまも毎年やってくる。そのように共有できる季節や土壌があるからこそ、われわれは古典を読んで同じように心に光を灯すことができるのです。

人類が永続していくためには、地球とどう折り合っていくかが大事になってきます。自然と俺たちは別物ではなくて、俺たちも自然の一部なんだという考え方。山にも川にも木にも動物にも、地球上のすべてのものに命があり魂があるというアニミズム的な発想が重要になってくると思います。

日本の詩歌は、基本的にはアニミズム的な発想で作られています。アニミズムが強く出る人と、そうでない人がいるわけですが、私たちが知っている中では宮沢賢治や若山牧水などはアニミズムを持って自然と付き合っていった人といえるでしょう。

海底に眼のなき魚の棲むといふ
眼の無き魚の恋しかりけり

これは若山牧水の歌です。まだ見たこともない深海魚に思いを馳せて、そういう魚の命と魂に何か共通項を思い、シンパシーを感じて作った歌でしょう。牧水の歌はこうしたアニミズムを意識した歌が多いのが特徴です。
さらにもう一首。

暗闇のわれの歩みにまつはれる蛍ありわれはいかなる河か

この歌は吉野山中に棲む歌人・前登志夫さんの作です。都会生活者である私たちがすでに忘れかけている自然との交感、自然の一部としての人間の有り様、といった世界を歌い続けてきた貴重な歌人です。この歌人の歌を詠むと「人間はやはり自然の一部なのだ」という思いがして、ほっとした気持ちを味わわせられます。

この歌は執拗に螢にまつはられ、ふと自分は河なのかと思った、という歌です。自然の具現としての螢の営みによって、忘れかけていた大自然の一部としての自分に気がつかされた戸惑いが歌われていると私は読みます。「われはいかなる河か」という大きな疑問符は、現代文明そのものが問うべくして問いそこなっている疑問符なのではないでしょうか。

私たちが青春時代を過ごした1960年代から高度経済成長が始まり、それからバブル経済の崩壊まで、私たちは経済を優先させて、なるべく私たちが「自然の一部」であるというようなことは考えないようにしてきました。それはいつも心のどこかに隠されていたことなのかもしれませんが、意識的にその場所に近づかないようにしていたような気がしています。

いまのような混迷の時代だからこそ、もう一度そういう心の冒険をしなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

(本記事は『致知』2002年11月号 特集「人の心に光を灯す」より記事の一部を抜粋・編集したものです

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◇佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな)
歌人。国文学者。昭和13年東京都生まれ。38年早稲田大学第一文学部卒業。41年同大学大学院修了、河出書房新社入社(その後退社)。『心の花』編集長、早稲田大学名誉教授。「朝日歌壇」選者。著書に『うた歳彩』『詩歌句ノート』、歌集に『アニマ』『天馬』など多数。

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