「長篠の戦い」の本当の勝因——織田信長はなぜ強かったのか?(松平定知)

多くのファンに愛されたNHKの人気番組「その時歴史が動いた」。同番組の名キャスター・松平定知さんは、丸9年に亘って歴史の偉大な人物や瞬間と向き合ってきました。その中で培われた歴史の捉え方に基づき、松平さんならではの名調子で語っていただいた中から、信長のエピソードを抜粋してお届けいたします。

各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。
1年12冊の『致知』ご購読・詳細はこちら※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください

織田信長の進取の精神

天正3(1575)年5月21日に行われた戦に、長篠の戦い(長篠・設楽原の戦い)があります。戦場になった設楽原は、いまは、名古屋の衛星都市と言われている新城市の付近にあたります。

この戦は織田信長、徳川家康連合軍対武田勝頼の戦でございました。結果としては信長家康連合軍が勝つのでありますが、おそらく1人の例外もなく、学校では長篠の戦いにおける勝因は「当時の新兵器、鉄砲の力で騎馬軍団を圧倒したから」と教わったと思います。

実はこれ、結果から歴史を見たという意味で、失敗例なんですね。というのも、鉄砲のフル活用がこの戦の主な勝因ではなかったということが、最近の研究で分かってきたのです。

これはどうやって勝ったか、どうやって負けたのかということは関係なしに、あの戦は「信長が勝った」という事実があればそれでよいと考えてきたから起こった問題です。結果だけを重視してきたことが戦いの実相を見誤ることに繋がってしまった。ではどう見誤ったのでしょうか。

信長というのは進取の精神に富んでいて、新しい物は素早く取り入れる人でした。彼は、日本人で初めて地球は丸いということを理解した男だとか、日本で初めてワインを飲んだ男だとか言われていますし、安土城は安土山の山上に七階建て(地上6階地下1階)の高層建築で、彼はその六階に居住していたことから、日本で初めて高層住宅住まいの男とも言われています(笑)。

こういう、進取の精神に富んだ男ですから、1543年に種子島に入ってきた鉄砲を手にして、これをうまく戦に利用しない手はないなと思ったのは事実だと思います。さらに、鉄砲の三段撃ちについても、確かな証拠はありませんけど、たぶん信長が考案したのだろうというふうに言われています。

三段撃ちはどういうものかというと、鉄砲隊を3列にして、最前列が撃ったらすぐに最後列に回りながら火薬を捨てて、新しい火薬を詰めて着火する。2列目に進んで火が火縄を回って、爆発寸前になると最前列に行って砲撃する。その繰り返しです。要するに、相手陣営に対して間断なく鉄砲を発射できるという戦法です。

戦は「勝ち方」も重要

さて、これは先ほども言いましたが、戦いの日は天正3年5月21日。これは旧暦ですから、いまの暦に直しますと6月末あたりということになります。つまり梅雨時で、1年で1番雨の降る確率が高い時期ということになります。

火縄銃は確かに大変な威力がある武器ですが、何が1番の敵かというと、「火が命」の兵器ですから、最大の敵は、相手の大将の能力や兵数ではなく、水、なんですね。つまり、当日の天候なんです。雨なんです。雨が降ったら火薬に火がつけられないので鉄砲の意味をなさなくなります。となると、あの戦上手の信長が、1年中で、最も雨の降る確率の高い梅雨時に、戦の行方を占う主武器として、本当に、わざわざ鉄砲を選んだのかという疑問が生じます。

この素朴な疑問を取り上げた学者がいらっしゃいました。そのご研究によりますと、残念ながら21日当日に、あの一帯で雨が降ったという記録はなかったそうですが、前日に、三河のほうで、大雨が降ったという記録を、近辺の風土記から見つけられたんですね。

設楽原一帯は、いまは名古屋を支える近代都市ですが、当時は、長閑な水田地帯でした。6月と言えば、梅雨の時期であると同時に田植えの時期でもあります。田んぼには田植え用の水が満々とたたえられていたことでしょう。それに加えて前日の大雨ですから、戦場一帯は大泥濘状態だったと予測できます。

その先生は大泥濘状態の中、陣笠、胴あてや脛あてなど、20キロ近くあった武具を身に着け、5キロはあったという火縄銃を持って、果たしてどれだけ相手を攻撃できるのかの実験をされています。体育学部のマッチョな学生をアルバイトに雇って試したところ、30分も経たないうちに皆、音を上げたそうです。

生きるか死ぬかの状況ではない実験だから真剣味が違う、という指摘はあるにしても、百歩譲って、この鉄砲の三段撃ち隊が、あの戦国一と言われた武田騎馬軍団を殲滅するまで大泥濘状態の中で鉄砲を撃ち続けるということが本当にできたかどうかは、相当、怪しくなってくるのでございます。

信長と一緒に戦った家康は城を舞台とした戦より、野戦が得意な武将と言われていました。彼は予め、戦場になるだろう所に、つまり設楽原に、敵の馬の進撃を阻止する馬防柵を配置したり、畦道を掘ってそこに鉄砲や刀を持った兵隊を配するなどの仕掛けを施します。

つまり、あの戦の最大の勝因は、断じて、鉄砲の効用ではなかった。新し物好きの信長ですから、新兵器の鉄砲を全く使わなかったということはないにしても、少なくとも、鉄砲の効果的使用が勝因ではない。むしろ、城に籠もっていた武田勝頼を野戦に引っ張り出した「事前の調略」の勝利だと考えるのが合理的だと言えるでしょう。

勝ち方なんでどうでもいいとお思いになる方がいるかもしれませんけど、当事者にしてみれば勝つか負けるかは大変なことなんですね。信長にしてみればそれまで積み上げてきたものが無駄になるかどうかの瀬戸際。一方、勝頼にしてみればここで負ければ父・武田信玄がつくり上げた騎馬軍団がなくなってしまう。勝つか負けるは五分五分です。ですから「どう勝ったか」という考察も重要なんです。

信長が勝ったという「結果」があれば、経過はどうでもいいという考え方は歴史を歪めてしまうことを、この事例は私たちに示してくれているのだと思います。


(本記事は『致知』2017年3月号 特集「艱難汝を玉にす」より一部を抜粋・編集したものです)

各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。

◇松平定知(まつだいら・さだとも)
昭和19年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、44年NHK入局。高知放送局を経て東京アナウンス室勤務。「連想ゲーム」「NHK19時ニュース」「モーニングワイド」「その時歴史が動いた」など看板番組を担当。「NHKスペシャル」は100本以上。平成19年に退局。現在、京都造形芸術大学教授。著書に『歴史を「本当に」動かした戦国武将』(小学館)などがある。

1年間(全12冊)

定価14,400円

11,500

(税込/送料無料)

1冊あたり
約958円

(税込/送料無料)

人間力・仕事力を高める
記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

『致知』には毎号、あなたの人間力を高める記事が掲載されています。
まだお読みでない方は、こちらからお申し込みください。

※お気軽に1年購読 11,500円(1冊あたり958円/税・送料込み)
※おトクな3年購読 31,000円(1冊あたり861円/税・送料込み)

人間学の月刊誌 致知とは

人気ランキング

  1. 【WEB chichi限定記事】

    【取材手記】ふるさと納税受入額で5度の日本一! 宮崎県都城市市長・池田宜永が語った「組織を発展させる秘訣」

  2. 人生

    大谷翔平、菊池雄星を育てた花巻東高校・佐々木洋監督が語った「何をやってもツイてる人、空回りする人の4つの差」

  3. 【WEB chichi限定記事】

    【編集長取材手記】不思議と運命が好転する「一流の人が実践しているちょっとした心の習慣」——増田明美×浅見帆帆子

  4. 【WEB chichi限定記事】

    【取材手記】持って生まれた運命を変えるには!? 稀代の観相家・水野南北が説く〝陰徳〟のすすめ

  5. 子育て・教育

    赤ちゃんは母親を選んで生まれてくる ——「胎内記憶」が私たちに示すもの

  6. 仕事

    リアル“下町ロケット”! 植松電機社長・植松 努の宇宙への挑戦

  7. 注目の一冊

    なぜ若者たちは笑顔で飛び立っていったのか——ある特攻隊員の最期の言葉

  8. 人生

    卵を投げつけられた王貞治が放った驚きのひと言——福岡ソフトバンクホークス監督・小久保裕紀が振り返る

  9. 【WEB chichi限定記事】

    【取材手記】勝利の秘訣は日常にあり——世界チャンピオンが苦節を経て掴んだ勝負哲学〈登坂絵莉〉

  10. 仕事

    「勝負の神は細部に宿る」日本サッカー界を牽引してきた岡田武史監督の勝負哲学

人間力・仕事力を高める
記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら

閉じる