遺骨収集一筋60年


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致知出版社の「人間力メルマガ」 2016.10.29


沖縄戦で亡くなった人たちの遺骨を
60年にわたって収集し続けた人がいます。
現地に住む国吉勇さんです。

その国吉さんの戦争体験からは
悲しい現実が浮き彫りになります。


────────[今日の注目の人]───

☆ 遺骨収集一筋60年の道を歩み続けて ☆

国吉 勇(遺骨収集家)

※『致知』2016年11月号
※特集「闘魂」P44

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戦局が悪化してくると、
親父が馬車を持っていたから、
それに家族みんな乗って、
沖縄北部の山原に避難したんです。

四畳半くらいの茅葺きの仮小屋に
しばらく住んでいました。


ところが、そこでおふくろが
マラリアに罹って亡くなり、
弟と姪っ子が栄養失調で
亡くなってしまったんです。

さらに、三番目の兄貴は
予科練(海軍飛行予科練習部)に
合格したものの、
乗っていた船が米軍に沈められて戦死。

祖母は足が悪かったため山原に避難せず、
親戚とともに自宅近くの
ガマに残ったんですが、
亡くなりました。

幼くして身内五人を
失ってしまったわけ。


戦争が終わってから
すぐには自宅に戻れなくてね、
米軍の強制収容所に収容されました。

散らばっている遺骨なんかを
拾ってきて納骨堂に納める労働に
従事したことを覚えています。


その後、小学校六年生くらいまでは、
もうとにかく食べるものがなくて
飢えていました。


兄貴と一緒にネズミを捕まえてね、
皮を剥いで火炙りして、
塩をつけて食べていたの。

あとは、残飯漁り。

米軍部隊が捨てた
腐った缶詰なんかを
食べていたけど、
全然お腹壊したり、
風邪引いたりしなかったですね。

免疫力が強かったんでしょう。

IMG_1900
 
中学校に上がると、
鉄や銅、真鍮なんかを探して、
スクラップ屋に
売りに行きよったわけさ。

あの頃はとにかく
生きていくのに必死だった。


そういう経験が甦るたびに、
貧しいながら生き残った者として……



※国吉さんを
 遺骨収集に駆り立てたものとは
 何だったのでしょうか。

 詳しくは本誌をお読みください。

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