知られざるシャープの歴史



早川徳次という経営者をご存じでしょうか?
いま話題になっている大手電機の
シャープの創業者にあたる人物です。


創業者には艱難辛苦を乗り越えて
成功を掴んだ人物が多いが、
その中でも早川徳次が遭遇した悲劇の深刻さは
他に類をみないほどに凄まじいものです。

人生最大の逆境を乗り越えたシャープ創業者の
負けじ魂に日本人の底力を見る思いがします

 

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人生最大の逆境を乗り越える


北 康利(作家)

 

 




※『致知』2011年9月号

? ?連載「日本を創った男たち」

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大正12年9月1日午前11時58分、

 

近代国家となって以来、
経験したことのない

 

強烈な地震が首都圏を襲った。

 

 

お昼時だったため、

 

そこここで火災が発生し、

 

その熱風が渦をまいて

 

強烈な上昇気流となった。

 

 

徳次の家のある本所の

 

あたりは蒸し焼き状態となり、

 

家も工場も一度に失った。

 

 

 

そして彼の家族である。

 

 

 

火が出た際に子供たちをかばったため、

 

妻・文子は全身に大火傷を負っていた。

 

 

炎と熱風に追われるようにして

 

油堀(深川にある十五間川の通称)の

 

中へと避難し、流されないよう

 

堀の中の杭にすがりついた。

 

 

 

6歳になる克己をおぶって

 

9歳の煕治をかかえているのはつらい。

 

 

 

だが、いくら待っても

 

火の勢いは収まらない。

 

 

 

意識が朦朧(もうろう)としてきた。

 

 

ふと背中が軽くなったと思ったら、

 

背中の克己が流されていった。

 

 

慌ててつかまえようと

 

手を伸ばした途端、

 

こんどは煕治が流されていった。

 

 

 

もう錯乱状態である。

 

 

 

その後、どこをどうさまよったのか、

 

避難所となっていた岩崎別邸で

 

徳次と再会した時には、

 

息も絶え絶えになっていた。

 

 

 

「すみません、子供たちを……」

 

 

 

そう苦しそうに言うと、

 

あとはただ泣くばかり。

 

 

そして彼女も、この2か月後に

 

子供たちの後を追って

 

あの世へと旅立つのである。

 

 

(略)

 

 

妻と子供、家と工場、

 

すべてを一瞬で失っただけではない。

 

 

そこにさらに追い打ちをかけるように、

 

大阪の日本文具製造という

 

会社(中山太陽堂の子会社)が

 

借金を返すよう迫ってきた。

 

 

 

財産を失った徳次に返す当てはない。

 

 

やむなく会社を解散し、

 

シャープペンシルの特許を

 

無償提供し、製造機械を

 

その会社に売却することにした。

 

 

 

その点、彼は実に潔かった。

 

 

 

借りた金は何としても返す。

 

 

それは商売の基本である。

 

 

今の自己破産や会社更生法などは、

 

更生しやすいものの、商売に甘えが

 

出てしまうのは間違いないだろう。

 

 

特許は入手したものの、

 

日本文具製造に技術はない。

 

 

そこで震災の年の12月、

 

徳次は新天地の大阪へと旅立ち、

 

彼らの技術指導を始めることとなった。

 

 

そして技術指導にめどが

 

立った後の事業再開の根拠地として、

 

大阪府東成郡田辺町大字猿山25番地

 

(現在の大阪市阿倍野区西田辺)の

 

235坪の土地を10年契約で借りた。

 

 

 

現在、シャープ本社がある場所である。

 

 

 

工費はざっと2,500円。完成した8月末日、

 

日本文具製造を辞して再起の旗を揚げた。

 

 

このとき徳次30歳。

 

 

 

新しい工場に「早川金属工業研究所」

 

という看板を掲げたのは、

 

震災からちょうど一年後の

 

大正13年9月1日のことであった。

 

 

彼はあえてこの日を

 

再出発の日に選んだのだ。

 

 

 

人生最大の逆境にも耐え、

 

彼は再び立ち上がろうとしていた。

 

 

 

もしここで心折れていたとしたら、

 

現在のシャープはない。

 

 

給料を出せるかどうか

 

分からない状態にもかかわらず、

 

徳次を慕って多くの従業員がついて来た。

 

 

晩年、彼は揮毫を頼まれた時、

 

“何糞(なにくそ)”と書くことが

 

あって人を驚かせたという。

 

 

?

 

負けじ魂がふつふつと湧き上がっていた。

 

 

 

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 『致知』読者から届いた声をご紹介

 

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いつも学びと気づきを

ありがとうございます。


日本人の心の教科書ともいえる

『致知』に出逢えたことを

とても嬉しく思います。


今後ともよろしくお願いいたします。


──小野寺賢さん(宮城県)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『致知』3月号のテーマは
「願いに生きる」


 

 

 



「かくて世紀の偉業は成し遂げられた」

 片岡一則(東京大学大学院教授)
  
 ・  ・  ・  ・  ・


 極小のマシンが体内の病気を診断し、
メスを入れずに治療してしまう――。


 半世紀前、SF映画で描かれた
夢のような世界がいま
現実のものとなりつつあります。


 その正体は、特殊な機能が
組み込まれた高分子の集合体
「ナノマシン」です。


 既に抗がん剤を内包した
2種類の「ナノマシン」は
臨床試験の第Ⅲ相に入っており、
これらは副作用がなく、
耐性がんや転移がんにも
高い効果を発揮する。


 そんな人類の未来を変える
 新薬を生み出した
 東京大学大学院教授・片岡一則さんに、
 これまでの挑戦の軌跡と
 研究開発に懸けた執念と創意を
 お聞きしました。


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