2016年05月01日
いまや世界を代表する 
サーカスになった 
創業114年の木下サーカス。 
 
 
現在、大阪で公演中ですが、 
その知られざる歴史を 
本日ご紹介します! 
 
 
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★ 渾身これ慈悲の人 ★ 
 
 
木下 唯志(木下サーカス社長) 
 
 
※『致知』2016年6月号【最新号】 
※特集「関を越える」 
 
 
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──木下サーカスは今年創業114年 
  ということで、大変な歴史を 
  お持ちですね。 
 
 
木下サーカスの歴史について 
簡単に申し上げると、 
初代木下唯助は香川県丸亀市出身で、 
叔父の矢野岩太が経営していた 
移動動物園の手伝いをしていました。 
 
 
ですから、若い頃から様々な動物と 
一緒の生活を送っていたんです。 
 
 
そのおかげか動物の調教がとてもうまく、 
興行師としての采配もなかなかのもので、 
その才覚を買われて、岡山を基盤に 
劇場関係の興行を行っていた木下家に、 
二十歳で養子に迎えられました。 
 
 
ところが当時の木下家は、 
当主の木下藤十郎が演芸興行に 
手を広げ過ぎたために経営は火の車。 
 
 
それを見事に立て直したのが唯助でした。 
 
 
──経営の手腕がおありだったと。 
 
 
最初はいくつか失敗もしたようですが、 
明治35年に軽業一座を組織して 
遼東半島にある大連で旗揚げしたのが 
木下サーカスでした。 
 
 
当時、大連はロシアの租借地ですから、 
相当勇気のいることだったと思うのですが、 
サーカス好きのロシア人には 
随分と歓迎されたようですね。 
 
 
(略) 
  
 
とにかく唯助の芸への熱は 
目を見張るばかりで、空中ブランコを 
取り入れたのも大陸巡業中のことでした。 
 
 
それに自ら馬を調教して 
馬上剣舞を披露したり、 
冬の夜にアシカと一緒に底冷えする 
床に寝ることでその習性を覚え、 
芸を教え込むなどしていたんですよ。 
 
 
──大変な熱の注ぎようですね。 
 
 
その熱心さは…… 
 
 
 
※約28年に多額の負債を抱え、 
 倒産の危機に直面した木下サーカス。 
 
 その苦境を脱する立役者となった 
 4代目社長・木下唯志さんの 
 お話の続きは本誌でどうぞ! 
 



 
						





 
                    