命からがらの逃避行

13歳で家族で旧満州に渡り、
ソ連の侵攻、中国の国共内戦、
中国共産党の恐ろしい人民裁判まで
その実態を目にした戸城素子さん。

ここで紹介するのは、敗戦後、父親と別れ、
満洲の新京から朝鮮に一家で避難した時の
戸城さんの実体験談です。

朝鮮にやってきた避難民たちは、
これからどうするか、どうやって
生き延びるかを話し合います。
────────[今日の注目の人]───

国力を失った難民の苦難

戸城 素子

※『致知』2016年6月号【最新号】
※特集「関を越える」P34

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これからどうするか、
みんなで話し合いました。
そして、さらに南下して
一歩でも日本に近づこうという組と、
新京に引き返そうという組に
分かれました。

私は一も二もなく
新京に引き返す案に賛成です。

新京には父がいるのです。

家族はいつも一緒、
家族と一緒の時間が何よりも大切。

そんな父の考えが私を突き動かして、
自然に新京に引き返すことを
選ばせたのです。
母も同意でした。
新京への列車が出るというので、
荷物をまとめて駅へ向かいました。

ところが、駅前では
信じられないような光景が
繰り広げられています。

朝鮮人が日本人の荷物を取り上げ、
目の前で広げては、
目ぼしいものを持っていくのです。
その騒ぎを潜り抜けて
列車に乗り込んでからも大変でした。

別の列車が暴徒に襲われ、
日本人乗客はほとんどが殺されたという
知らせが入ります。

すると、列車はどこをいつ
通過するのが安全かを探って、
長い停車を強いられます。
沿線に見えたのは恐ろしい光景。
目のやり場に困るほど、
あちこちに日本人の死体が
転がっているのです。

中には……

※戸城さん一家は命からがら
 父親の待つ新京に辿り着きます。
 しかし、その頃、新京の町は
 大変なことになっていたのです。

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