中西輝政に聞く「憲法改正の論点」

北朝鮮問題や米中関係など、日本を取り巻く国際情勢が激動する中で、憲法の改正は一刻の猶予もならない状況にあります。国際政治史の第一人者であり、オピニオンリーダーとして活躍する京都大学名誉教授・中西輝政さんに、憲法改正の論点とその本質について伺いました。憲法記念日の本日、中西さんの視点に学ぶものは大きい――。

憲法9条をおさらいする

2017年5月3日、安倍首相は2020年という時間軸まで決めて、憲法9条改正という方向性を明確に打ち出しました。解散総選挙の結果が、この方針の追い風となることははっきりしています。私も9条改正はぜひ実現していただきたいと熱願する一人ですが、しかし、そこにまた様々な課題が見えていることも確かです。

いま、自民党内で論議になっている改正案は、9条に新たに3項を設けて自衛隊の存在をはっきりと明記することです。自衛隊がこれまで以上に積極的な役割を果たすことは日本の安全保障にとって重要ですから、これは当然歓迎すべきです。ただ、そこにはいくつかの「落とし穴」があることも確かです。まず何よりも、これは前座の前座、9条改正への道としては小さな前進にすぎません。

それを説明する上で、改めて9条をおさらいしておくと、周知のように現行の9条は2項からなります。

第1項には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とあります。これは日本以外の多くの国の憲法にも見られる条項であり、特段何かコメントすることはありません。

重要なのはこの後です。つまり、9条の胆としての第2項には次のようなことが書かれており、これが大変問題なわけです。即ち、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

繰り返しますが、この条項こそが決定的に問題なのです。仮に第3項の付加で、自衛隊が「国防のための実力組織」と謳われても、この第2項の「国の交戦権は、これを認めない」という一文がある限り、どこまでいっても自衛隊は軍隊とは言えないし、現在の専守防衛以上のことはできません。

2項改正か3項明記か

万一戦争となった場合、専守防衛でいくというのが政府の見解ですが、たとえ日米同盟があるとしても、自衛隊に交戦権を認めずに、自分の国をどうやって守れというのでしょうか。そのように考えると、自衛隊が違憲か合憲かなどというのは枝葉末節な議論で、最大のネックはこの「交戦権」否定の2項にあることがお分かりになるはずです。

この2項を改正せずに3項に自衛隊を盛り込むだけでは、その後の憲法解釈にかえって大きな障害を与えてしまう可能性があるのです。第2項「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と言っているのに、その後に第3項として自衛隊を明記する条項が出てくるわけですから、自衛隊は軍隊ではない、ということがむしろ確定してしまうことになります。

さらにその上、2項の「交戦権否認」の条文をそのままにするなら、この2項と新しく付記される3項の自衛隊明記との矛盾を巡って、再びこれまでのような「神学論争」が延々と繰り返されるようになります。

国際情勢は目まぐるしく揺れ動いています。米中関係のいかんによっては、日本はアメリカという後ろ盾を失い、危機の最前線に立たされることも覚悟しておかなくてはいけません。もはや一刻も悠長にしている暇はないのです。

ですから3項を付加したところで、これまでのように法解釈を巡って国会で議論が紛糾し、前に進めないとすれば、これほど危ういことはありません。日本を取り巻くのは、一刻の猶予もならない情勢です。無駄なことに時間を費消している暇はないのです。

モリカケ問題を騒ぐマスコミと野党の妨害工作

さらに、誰も指摘しないことですが、私が強く危惧する問題があります。憲法改正は両議院の総議員の3分の2の賛成で発議し、国民投票により過半数の賛成を得なくてはいけない、とされています。もし万が一、9条の3項付加という改正提案が国民投票によって否決された場合、そのリスクは計り知れないほど大きなものがあるということです。

今回の総選挙の結果を見る限り、国会での発議は数の上では十分可能です。また、自衛隊を憲法に明記する3項の付加という改正であれば、国民の過半数の賛成を得る公算も大きいと思います。しかし、その時の風によってコロコロと変わるのが国民の意識です。

例えば、森友・加計問題のようなことをマスコミや野党がまたまた連日囃し立てれば、支持率は確実に低下します。特に注意を要するのは、周辺諸国による、あの手この手の妨害工作があり得ることです。

また、スキャンダルではないとしても、例えば経済情勢が悪くなれば、どうでしょうか。このまま進めば安倍首相は2020年の憲法改正に向けて2019年には国民投票に踏み切るでしょう。その時、たまたま経済が低迷し、国民の不満が高まっていたとすると、否決されることも起こり得るのです。イギリスのEU離脱を決めた国民投票を見ても、「風次第」の結果になりやすいのが国民投票ということが分かります。

他方、交戦権を認める第2項の改正案の否決であれば、現在の安全保障政策の大枠は最低でも従来どおり維持され、いわば失うものはないわけですが、「自衛隊の3項明記」案が否決されるようなことにでもなれば、自衛隊の存在そのものが正式に「違憲」となってしまいます。そんなことを許していいはずはありません。これは、得るものはあまり大きくないのに、他方とんでもない大きなリスクがあるということです。

稀有な政治家・安倍首相への期待

さらに言えば、9条改正を巡っては、たとえ、3項付加案でも与党内が決して一枚岩ではないことも忘れてはならない重要な視点です。「加憲」を標榜する公明党ですが、指導層の多くは実は護憲といってもよい慎重論の持ち主です。他ならぬ山口那津男代表自身が総選挙が終わったいまなお、「3項の自衛隊明記を急ぐ必要はない。国民の合意が何よりも大事で、野党第一党(つまり、あの立憲民主党)の理解も得たい」などと発言しています。3項付加の改正にも実のところ反対というのが真意なのでしょう。

護憲派の危機感のなさには呆れるばかりですが、態度が曖昧なのは公明党に限ったことではありません。憲法改正を旗印にしている「希望の党」や「日本維新の会」、あるいは自民党の中からも必ず造反者は出てきます。今後、その見極めがとても大切になってきます。

安倍首相は今日まで一貫して憲法改正を公約に掲げてきた稀有な政治家です。戦後誰も手をつけられなかった憲法を改正できれば、その功績はいつまでも語り継がれるはずです。しかし、だからといって3項明記だけで満足してしまうようでは保守本流としての沽券に関わります。

ここはより困難な2項の改正を決断し、それで国民投票で否決されたり、発議で挫折しても、「9条改正」という日本の大義は、必ず国民の間に大きく浸透し、次々と重大な国際危機の続発する時代に入った今日、その実現は一気に進むでしょう。むしろ、それこそが本来の9条改正の近道なのです。

そうして、いまや切迫してきたこの国の「生存の危機」を克服し、日本の安全保障を揺るぎないものにしていただきたいのです。私はそのことを強く願ってやみません。

(本記事は『致知』2018年1月号連載「時流を読む」より一部抜粋したものです)

 

◇中西輝政(なかにし・てるまさ)

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昭和22年大阪府生まれ。京都大学法学部卒業。英国ケンブリッジ大学歴史学部大学院修了。京都大学助手、三重大学助教授、米国スタンフォード大学客員研究員、静岡県立大学教授を経て、京都大学大学院教授。平成24年退官。専攻は国際政治学、国際関係史、文明史。著書に『国民の覚悟』『賢国への道』(ともに致知出版社)など。近著に『アメリカ帝国衰亡論序説』(幻冬舎)がある。

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激動する国際社会の中で、日本の生き筋がいま問われていると言っても過言ではありません。混迷の時代を生きる私たち一人ひとりのあり方もまた同様でしょう。本連載は、国際問題の論客として活躍する京都大学名誉教授・中西輝政さんに時代を読む上での視点を学ぶものです。

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