ローマ帝国滅亡の日はこうして訪れた


かつて地中海全域を掌中に収めた
大帝国ローマはいかにして滅びたのか。

その真相にローマ史の専門家である
本村凌二さんに迫ってもらいました。

───────「今日の注目の人」───

☆ ローマ帝国滅亡の日はこうして訪れた ☆

本村 凌二(東京大学名誉教授)
   
※『致知』2017年4月号【最新号】
※特集「繁栄の法則」P30

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その一方でローマ帝国の
滅亡について考える時、
私はある一つのシーンを
思い起こします。

それは紀元前146年、
第三次ポエニ戦争終結とともに、
かつて地中海で栄華を誇った
通商国家カルタゴを
滅ぼした時のことです。

ローマ軍の司令官だったスピキオは、
徹底的に破壊し尽くされ、
炎上するカルタゴの様子を
遠くから眺めながら、
一人涙していました。

彼はホメロスの抒情詩
『イーリアス』に収められた
大国トロイア滅亡の
一節を諳んじながら、
我われローマもまたいつの日か、
トロイアやカルタゴと
同じ運命を辿るのではないか、
と思いを馳せていたのです。


もっとも、ローマ帝国の滅亡は、
先に挙げた国々の滅亡に比べると、
都市が炎上するといった
劇的なシーンは
何一つありませんでした。

476年9月4日、ゲルマン人の
傭兵隊長オドアケルによって
ロムルス・アウグストゥルスが
廃位に追い込まれると、
そのまま次の皇帝が
立てられることなく
ローマ帝国は滅亡したのです。

事件としては、皇帝がその地位から
降ろされただけにすぎません。

もしジャーナリズムが
当時あったとすれば、
おそらく大した事件として
取り上げられることも
なかったことでしょう。

実権を持たない皇帝が、
形の上で退位したという、
たわいのない事件
でしかなかったのです。


(中略)


では、なぜ大帝国として
華々しい存在であったローマは
滅びてしまったのでしょうか。

その原因については…



※続きは本誌でお楽しみください。

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