自分の人生は自分にしか生きられない

19歳の時に巨大な肝臓がんが見つかり、「余命半年」を宣告された山下弘子さんが本日、25歳で亡くなられました。21日発行の『致知』3月号にてご登場された際には、「天 我材を生ずる 必ず用あり」の特集テーマの如く、ご自分の使命を全うし、全力で生きようとされるお姿がありました。ご取材をお引き受けいただいたことに心から感謝しながら、山下さんのご冥福をお祈り申し上げます。

自分で納得できる人生を

――病と日々向き合う中で、人生を深く見つめ、

ご自身の人生観を研ぎ澄ましてこられたことが伝わってきました。)

(山下)

特別なことは何もしていません。

まだまだ未熟な若者ですし、分からないことばかりです。

でも、自分の人生は自分にしか生きられません。

だとしたら、自分で納得できる人生にしたいですよね。

先ほども話しましたが、私はがんになって、

いろいろなことにすごく感謝できるようになりました。

人間って本当に面倒臭い生き物だし、

ありがたみの分からない生き物だなって最近思うんです。

例えば、普通にご飯が食べられるのはとてもありがたいことなのに、

食べられなくなった時にやっとそのことに気づいたりだとか。

私は足の骨にがんが転移してから歩くことが

実はすごいことだと気づいたし、気管支の部分にがんが

バーツと広がって初めて呼吸のありがたさに気づきました。

最期まで自分らしく生きる

――当たり前なことなど何もないということですね。)

(山下)

そう心から思います。それから、一つの真理でもいろいろな見方があることを病気から教わりました。「天 我が材を生ずる 必ず用あり」という言葉で思い出したのが、『新約聖書』にあるタラントの話です。

――紹介していただけますか。)

(山下)

ある家の主人が三人の使用人にお金を預けたんです。Aには五タラント、Bには二タラント、Cには一タラント。それで主人は旅に出掛ける。AとBはその間に預かったお金を倍にして儲け、主人から褒められますが、Cは預かったお金を土に隠し、そのままにしておいたために叱られる。

ここでいうタラントはタレント、才能の語源なんですね。神様はその人に応じた才能を授けているのに、それを増やすことをせず、そのままにしておくのは正しい生き方ではないことを『聖書』は教えているわけです。

ある時、私はキリスト教も仏教も中国古典も全然違うのに、言っていることは皆一緒なんだと気づきました。それはやはり私自身がいろいろな経験をしてきたからこそ感じる世界なのかもしれませんが、そのことに気づいた時、めちゃ嬉しくなって、主人に「ねぇ聞いて、聞いて」って(笑)。

――山下さんは、ご自身に与えられた才能は何だとお感じですか。)

(山下)

それはいまでもずっと考えていますが、もしかしたら考える力、真実を追い求める力を与えられたのかな、と思うこともあります。

がんになって入院したら、暇な時間がたくさんあって、その時は考えることしかないんです。また、生きている意味を考えていないと、ここまでこられなかった。「自分の生き方は本当にこれでいいのか、真実は本当にこれなのか」、これからもそのテーマをずっと追い求め続けていくことが私なりの生き方ですね。

まだまだ神様から与えられた才能の十分の一も使いこなせていないでしょうけど、与えられたものを精いっぱい使って最後まで生き抜こうと思います。自分らしく、自分が後悔のないように……

***

 

◇山下弘子(やました・ひろこ)

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平成4年父親の赴任先である中国で生まれる。立命館大学法学部に在学中、肝臓がんが発覚。病と向き合いながら講演、執筆活動等に尽力。著書に『人生の目覚まし時計が鳴ったとき』(KADOKAWA)『雨上がりに咲く向日葵のように』(宝島社)

 

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