目に見えない力に助けられて


東日本大震災で大きな被害を受けた
気仙沼の老舗酒造メーカー男山本店。

それにもかかわらず、震災翌日から
事業を再開させたというから驚きです。

その軌跡に迫ります。

────────[今日の注目の人]───

★ 目に見えない力に助けられて ★

熊谷 光良(熊谷電気社長)
   ×
菅原 昭彦(男山本店社長)

※『致知』2016年6月号【最新号】
※特集「関を越える」P18

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5月30日

【熊谷】
でも震災翌日、すぐ仕事
を再開されたんでしょう?


【菅原】
はい。帰れない人が2人いたので、
3人で酒蔵に寝泊まりすることにしました。

タンクに仕込んであった
約1,500リットルのもろみは
幸い生きていましてね。

ただ、温度管理をする冷却機が稼働しない。

だから、全く手は下せないんですよね。
情けないかな、ただ見守る
ことしかできませんでした。


通常だと3月下旬頃に搾る
予定だったんですけど、
温度の制御ができないから
どんどん発酵が進んでしまうんですよ。

16、17日になると、もうあと2、3日で
搾らなきゃもろみがダメに
なってしまうって話になりましてね。


そこから必死になって
発電機を探し回っていたら、
ちょうど貸してくれる施設が見つかった。

ただ、2トンある発電機を
運ぶトラックがない。

それもたまたま運んでくれる人が現れて、
酒蔵まで持ってきたのはいいんですけど、
今度は通電させなければならない。

これもある方がろくに
道具もない中で、配線してくれました。


そして、最後は燃料。


一本のタンクを搾り切るのに
2日間かかるんですけど、
2本ありましたので、4日間焚き続ける
だけの軽油が必要だったんです。


【熊谷】
当時ガソリンや軽油を手に
入れるのは至難の業でしたよね。


【菅原】
だから一時は諦めようかと
思いましたけど、知り合いの
ガソリンスタンドの経営者が
メールをくれたんです。


「軽油を何とか手配するから搾れ。
 これは私的な関係でやるんじゃない。
 気仙沼の産業を絶やさないためだ」


と。もう涙が出てきましたね。
 

ただ、時期が時期だっただけに
葛藤もあったんですよ。

この軽油があれば
どれくらいの車が走れるのか、
この発電機があればどれくらいの
人が暖を取れるのかって……



※いまも復興が続く、東北の各被災地。
 厳しい状況に追い込まれながらも、
 思いを持って復興に取り組む
 お二人の話に勇気づけられます。