木下サーカスはこうして生まれた!

いまや世界を代表する
サーカスになった
創業114年の木下サーカス。


現在、大阪で公演中ですが、
その知られざる歴史を
本日ご紹介します!


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★ 渾身これ慈悲の人 ★


木下 唯志(木下サーカス社長)


※『致知』2016年6月号【最新号】
※特集「関を越える」


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5月2日①


──木下サーカスは今年創業114年
  ということで、大変な歴史を
  お持ちですね。


木下サーカスの歴史について
簡単に申し上げると、
初代木下唯助は香川県丸亀市出身で、
叔父の矢野岩太が経営していた
移動動物園の手伝いをしていました。


ですから、若い頃から様々な動物と
一緒の生活を送っていたんです。


そのおかげか動物の調教がとてもうまく、
興行師としての采配もなかなかのもので、
その才覚を買われて、岡山を基盤に
劇場関係の興行を行っていた木下家に、
二十歳で養子に迎えられました。


ところが当時の木下家は、
当主の木下藤十郎が演芸興行に
手を広げ過ぎたために経営は火の車。


それを見事に立て直したのが唯助でした。


──経営の手腕がおありだったと。


最初はいくつか失敗もしたようですが、
明治35年に軽業一座を組織して
遼東半島にある大連で旗揚げしたのが
木下サーカスでした。


当時、大連はロシアの租借地ですから、
相当勇気のいることだったと思うのですが、
サーカス好きのロシア人には
随分と歓迎されたようですね。


(略)
 

とにかく唯助の芸への熱は
目を見張るばかりで、空中ブランコを
取り入れたのも大陸巡業中のことでした。


それに自ら馬を調教して
馬上剣舞を披露したり、
冬の夜にアシカと一緒に底冷えする
床に寝ることでその習性を覚え、
芸を教え込むなどしていたんですよ。


──大変な熱の注ぎようですね。


その熱心さは……

5月2日②


※約28年に多額の負債を抱え、
 倒産の危機に直面した木下サーカス。

 その苦境を脱する立役者となった
 4代目社長・木下唯志さんの
 お話の続きは本誌でどうぞ!

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