日本電鍍工業社長の伊藤麻美さんの≪弱みを強みに変えた逆転の発想≫


創業者である父親を突然亡くし、32歳で事業を継ぎ。
倒産の危機にあった会社を見事に再建した日本電鍍工業社長の伊藤麻美さん。
再生の軌跡を振り返りつつ語られた対談記事の一部を紹介します。

伊藤 麻美(日本電鍍工業社長)×諏訪 貴子(ダイヤ精機社長)
─────────────────── 
※『致知』2018年1月号
※特集「仕事と人生」P52

─────────────────── 

【伊藤】 
毎月悲しくなるほどの赤字なんですけど、
売り上げや借り入れがどれくらいあるか、業績をすべてオープンにしました。
賭けに出たんです。

実際これだけ危機的な状況だと分かると、甘えていた社員も行動が変わって、
電気をつけっ放しにしないとか水道を締めるとか、
一つひとつの無駄を省くようになりました。
自ら辞めた社員は3人いたんですけど、あとはみんな残ってくれたんです。
 
うちは腕時計の部品のめっきが売り上げの9割を占めていたんですけど、
その仕事がどんどん海外に流れていく中で何の手立ても打たなかったところに、
業績が悪化した一番の要因があります。

だったら、時計を追うのはもうやめて、他に付加価値のあるものを取っていこうと。
実際、いろんな業種のめっきがあって、車やIT関係のめっきは非常に好調でした。

【諏訪】 
どんな分野に切り替えられたのですか。



【伊藤】 
うちのめっきは全部手作業で、
貴金属に特化しているために材料費がものすごく高いんですね。
社員はそれを欠点だと思ってしまうんですけど、
逆にそれはプラスかもしれないと。

 
どうせ設備投資できないのであれば、現状の設備でとことん追求できる分野、
つまり、量産ではなくて景気が悪くなっても
なくならない分野は何だろうと思った時に、
医療と健康と美容に目をつけたんです。
そこにめっきの需要があるかどうか分からないけど、とりあえず営業しました。
 
すると、実際そこでいろんな出逢いがあって、
医療器具や女性用アクセサリーのめっき加工など、
時計よりも遥かに高い利益率の仕事が増えていったんです。

【諏訪】 
先見の明というか、閃きが降りてきたんですね。