2017年02月24日
評論家で知られる渡部昇一さんは
折に触れて人間学の大切さを
お話しになりますが、
教養と修養の違いについてのお話も
大変印象的です。
元駐ウクライナ大使の
馬渕睦夫さんとの
世界情勢に関する対談でも
そのことを述べられています。
───────「今日の注目の人」───
☆ 世界動乱の艱難を磨き砂とせよ ☆
渡部 昇一(上智大学名誉教授)
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馬渕 睦夫(元駐ウクライナ大使)
※『致知』2017年3月号
※特集「艱難汝を玉にす」P20
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【馬渕】
かつて存在していたよき共同体は
いま消滅して、
代わりに出てきたのが市場です。
その行き着く先がグローバル市場で、
そこに必要なものは市場の論理、
マネーの論理なんです。
人間学は求められていません。
しかし、人材が育つためには
どうしても共同体精神、
人間学に基づく公の精神が必要です。
市場は所詮プライベートな
場にすぎません。
【渡部】
私はこの頃、
つくづく教養と修養は違うと
考えるようになりました。
舛添要一前都知事の例が
分かりやすいと思いますが、
舛添氏は東大出の
秀才でフランス語も堪能です。
この人に教養がないとは言えません。
しかし、修養がないとは
はっきりと言えます。
それと同じようなことが
いまのヨーロッパの指導者たちにも
言えるのではないでしょうか。
難しい試験に通って
EUの高級官僚になったとしても、
彼らに修養があるわけではありません。
教養は試験で計れる
けれども修養は計れない。
修養は学んだことを心で受け止めて、
自分をより高めようと思い続ける
努力が求められます。
イギリスでは……