2017年09月29日
日本財団会長の笹川陽平さんに
ご自身の歩みを振り返っていただきました。
笹川さんがハンセン病患者の支援に力を注がれたのは
亡父・笹川良一さんの影響でした。
笹川良一さんの人柄が分かる逸話を交えてご紹介します。
笹川 陽平(日本財団会長)
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※『致知』2017年10月号
※連載「私の座右銘」P102
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かねて私は、50歳になるまでは
ビジネスに取り組み、50歳を過ぎたら
社会のために尽くす人生を歩もうと、
「人生二度説」を唱えておりました。
しかし、結果的には、10年早い42歳の時に
人道支援活動へと身を投じることを決意し、
父・笹川良一が創設した日本財団の事業に
携わることとなりました。
私が間近に見てきた父は、辛いとか、苦しいとか一切弱音を吐かず、
ひたすら世界のために、人類のために、
持てる智恵と情熱を惜しみなく尽くそうとする
真の人道主義者であり、真の指導者でした。
傷痍軍人の見舞いから就職の世話まで、
父は本当に多くの方々の相談に乗り、
援助を惜しみませんでした。
そして、人間は蓋棺した後に
評価を下してもらえばよいのであって、
指導者の役割は人々の人気取りをすることではなく、
自分の信念に基づいて
「世の中はこうあるべきだ!」
とはっきり主張していくことにあると言い、
その姿勢を最期までぶれずに貫き続けました。
そうした父の生き方を引き継ぎ、
私は社会的に恵まれない環境に置かれた
人々へ目を向けた支援活動を最も重視してきました。
なかでも、終生の仕事として長年取り組んできたのが、
父が情熱を傾けながら志半ばに終わってしまった
ハンセン病の世界制圧です。
私がハンセン病との闘いに導かれた原点には、
1965年、父の支援活動に同行して訪れた
韓国のハンセン病病院での体験があります。
私はそこで手足や顔が変形したハンセン病の患者と初めて接したのですが、
それ以上に衝撃を受けたのは、どの患者も人生に絶望し、
すべてを諦めたかのように人間らしい表情を
全く失ってしまっていることでした。
しかし、父は全く臆することなく、患者たちの膿が出た手足をさすり、
一人ひとりに言葉を掛け、激励しているのです。
私はその光景を見て、……