心の中のゴミ屋敷


難しい禅の言葉を
分かりやすく説いてくださる
鎌倉円覚寺管長の横田南嶺さん。

本日は人間の迷いを
ゴミに譬えて語られた
説法の一部をご紹介します。

────────[今日の注目の人]───

★ 本来無一物 ★

横田 南嶺(鎌倉円覚寺管長)

※『致知』2016年7月号
※連載「禅語に学ぶ」

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この頃よく
「ゴミ屋敷」なるものが
報道されているが、
家のゴミはよく見えても、
心中のゴミには
お互いに気づいていない。

心の中にゴミが一杯詰まっている
状態が迷いであり、
ゴミが片付いて綺麗になったのが
悟りであり、本心即ち仏心である。


近年もある禅僧は、
つねにあなた方の心は
ゴミ箱のような状態だ。
ゴミを片付けろ、
綺麗にしろと言って坐禅の指導を
なされていたという。

目に見えるゴミは気づきやすいが、
心の中は見えないだけに
気づきにくい。


しかし、静かに坐って
自己の心を見つめてみれば、
心中雑念妄想の多いことに
気がつくだろう。

ゴミを片付けるように、
要らないものを捨ててしまうことが
必要である。


「既往(きじゅう)は咎(とが)めず」

と『論語』にもあるように、
もうすんだ事をいつまでも
思い続けては仕方がない。
すっぱりと片付けてしまう。

まだ先のことも取り越し苦労をしては
意味がないので切り捨てる。
そうしてただ今のことに集中する。
 
坐禅中は「数息観」といって
自らの呼吸を数えることに集中する。

息を数えることだけに集中すると、
余計な考えは自然と消えてゆく。
数だけになってしまう。


そうして今のことだけに
集中する時間を持っていれば、
自ずとさっぱりとした心境になる。

自然と本来の心が
はっきりしてくる。
本来の心は清浄であり、
明るく爽やかなものだ。


その心に気がつくには……。


 
※横田さんの「禅語に学ぶ」は
 『致知』の好評連載の一つです。

 毎回、様々な感動的な話を交えながら
 心の迷いをはらってくださいます。
 皆様もお読みください。