徳永康起先生という方をご存じですか?

国民教育の師父と仰がれた森信三師をして、「超凡破格の教育者」と称せしめた徳永康起先生。明治45年の熊本に生まれ、生涯を教育ひと筋に捧げられた方です。その教えに触れ、強い感化を受けた方は少なくありませんが、ここでは横田忠道さん(チャンプル整体院院長)と西田 徹さん(豊岡市立府中小学校教諭)のお二人に、徳永先生の人格・魅力について、あるエピソードを引いて語り合っていただきました。

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そこには心と心の交流があった

《横田》
徳永(康起)先生のお言葉の中に

「濡れ落ちた実にも必ず芽は出るものです」

というのがあります。そして、教職に就かれる時、お母様が

「人様の子どもさんを大事にしなさい」

とおっしゃったそうで、これらのことが先生の教育観の根幹ではなかったかと思います。別の言葉では、

「教師の目が日の当たる子ばかりに向いて、他の子が教室の隅に取り残されるようなことがあっては許されない」

とおっしゃっていて、特に家庭的に恵まれない子や教室の隅で寂しそうにしている子に光を当てようとされていました。これは先生から聞いた話ですが、私たちよりもだいぶ前に受け持たれたクラスで、「ナイフ盗難事件」があったそうです。

《西村》
どのような事件ですか。

《横田》
戦前の話ですが、明日工作をするからナイフを持ってくるようクラスに呼び掛けたら、翌朝、ある児童が自分のナイフがないと言い出したそうです。先生は「ひょっとしたら、あの子が盗ったのかもしれない」と思った児童がいたんですね。

「運動場で遊んでおいで」とクラス全員を外へ出して、盗ったと思われる子の机を見たら、やはりナイフが入っていた。先生はすぐに裏口から近くの文房具屋へ走り、同じナイフを買ってきて、盗られた子の机の中に、本に挟んで入れておきました。

子どもたちが教室に帰ってきた時、「もう一度、ナイフ探してごらん」と言うと「先生、ありました」と。「しっかり探さなければダメだぞ」と言いながら、100分の1秒くらいの時間で盗った子を見たら、その子はじっと先生を見ていたそうです。

それから何年か経って、時は終戦間近だったそうですが、先生の元に一通の手紙が届きました。そこには

「あの時、みんなの前で先生に叱られていたら、自分はろくな人間にはなっていなかったと思う。これからも自分のように恵まれない子どもに、どうぞ愛の光を当ててください」

と書いてあったそうです。続けて、

「自分は明日、沖縄へ向けて出撃します。出撃しても先生のことは一生忘れません」

と。つまり、遺書だったんですね。この心と心の交流、泣けてきますね。


(本記事は『致知』2009年1月号 特集「成徳達材」より一部を抜粋・編集したものです)


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◇徳永康起(とくなが・やすき)
明治45年熊本県生まれ。昭和7年熊本師範学校卒業後、教職の道へ。22年36歳の若さで小学校校長を拝命。27年自ら降格願を出し、生涯一教師の立場を貫く。29年初めて森信三師と出会い、人生の師と仰ぐ。46年自ら退職願を郵送し、教壇を去った。54年逝去、享年68歳。森信三師の影響で始めた複写ハガキは、生涯で2万3千通にも及んだ。ハガキ道伝道者・坂田道信氏にその手ほどきをした人物としても知られる。

◇西村 徹(にしむら・とおる)
昭和35年兵庫県生まれ。41年八鹿小学校入学、在籍6年間、東井義雄先生が同校校長を勤めた。57年兵庫県城崎郡日高町立八代小学校教諭となり、教師の道を歩み始める。共同編著に『東井義雄一日一言』(致知出版社)がある。

◇横田忠道(よこた・ただみち)
昭和17年熊本県生まれ。28年に八代市立太田郷小学校で徳永康起先生と出会う。40年大学卒業後、共同石油(現・ジャパンエナジー)入社。平成17年退職。自宅に整体院を開業し、現在に至る。

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