徳永康起先生という方をご存じですか?

本日は過去の記事から、選りすぐった内容をご紹介。

明治45年生まれの教育者で、
その生涯を教育に捧げられた徳永康起先生のお話です。

横田 忠道(チャンプル整体院院長)×西田 徹(豊岡市立府中小学校教諭)
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※『致知』2009年1月号
※特集「成徳達材」P18

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【横田】
徳永(康起)先生のお言葉の中に
「濡れ落ちた実にも必ず芽は出るものです」
というのがあります。

そして、教職に就かれる時、お母様が
「人様の子どもさんを大事にしなさい」
とおっしゃったそうで、これらのことが先生の教育観の
根幹ではなかったかと思います。

別の言葉では、「教師の目が日の当たる子ばかりに向いて、
 他の子が教室の隅に取り残されるようなことがあっては許されない」
とおっしゃっていて、特に家庭的に恵まれない子や
教室の隅で寂しそうにしている子に光を当てようとされていました。

これは先生から聞いた話ですが、私たちよりもだいぶ前に
受け持たれたクラスで、「ナイフ盗難事件」があったそうです。

【西村】
どのような事件ですか。

【横田】
戦前の話ですが、明日工作をするから
ナイフを持ってくるようクラスに呼び掛けたら、
翌朝、ある児童が自分のナイフがないと言い出したそうです。

先生は「ひょっとしたら、あの子が盗ったのかもしれない」
と思った児童がいたんですね。
「運動場で遊んでおいで」
とクラス全員を外へ出して、盗ったと思われる子の机を見たら、
やはりナイフが入っていた。



先生はすぐに裏口から近くの文房具屋へ走り、
同じナイフを買ってきて、盗られた子の机の中に、
本に挟んで入れておきました。

子どもたちが教室に帰ってきた時、
「もう一度、ナイフ探してごらん」
と言うと「先生、ありました」と。

「しっかり探さなければダメだぞ」と言いながら、百分の一秒くらいの
時間で盗った子を見たら、その子はじっと先生を見ていたそうです。

それから何年か経って、時は終戦間近だったそうですが、
先生の元に一通の手紙が届きました。

そこには

「あの時、みんなの前で先生に叱られていたら、
 自分はろくな人間にはなっていなかったと思う。
 これからも自分のように恵まれない子どもに、
 どうぞ愛の光を当ててください」


と書いてあったそうです。

続けて、

「自分は明日、沖縄へ向けて出撃します。
 出撃しても先生のことは一生忘れません」

と。つまり、遺書だったんですね。
この心と心の交流、泣けてきますね。