先立つ我が子は導師なり

和歌山市で老人福祉施設を運営する土山憲一郎さんには、
決して忘れることのできない辛い思い出があります。
高校生の我が子を、医療ミスで亡くしてしまったのです。

土山さんが福祉事業に取り組むきっかけとなった
この出来事を述懐する随想の一部をご紹介します。


土山 憲一郎(社会福祉法人わかうら会理事長)

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※『致知』2018年1月号
※連載「致知随想」P85
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「憲美君が危篤やで!」

次男が通う中学校のPTA役員会が開かれていた会議室に、
友人がそう叫びながら飛び込んできた時、私は一瞬、言葉を失いました。

長男の憲美が高校の映画鑑賞会の帰り道で交通事故に遭い、
救急車で病院に運ばれたのはこの日の昼過ぎでした。
出張先からタクシーで駆けつけた私に憲美は
「手術をしてほしい。頭が痛い」と繰り返し訴えました。
聞くと何度か血を吐いたと言います。

ところが、看護師は吐瀉物は血ではなく事故前に口にしたイチゴであり、
心配要らないと話すのです。
「手術をしてほしい」という憲美の訴えに耳を貸さないばかりか、
医師は「甘やかすから我慢のできない子に育ったんですよ」
と私に説教する始末でした。

私は一抹の不安を抱きながらも、「心配ない」という言葉を信じ、
中学校の夜のPTA会合に参加することにしました。
危篤との報せを聞かされたのは、その時でした。

病院のベッドに寝かされた憲美は息も絶え絶えで、
この日の深夜、十六歳で息を引き取りました。死因は脳挫傷でした。
「すみません。誤診でした」と頭を下げる医師の姿に
私は激しい怒りとやり場のない無念さ、
息子を死なせてしまった後悔の念が込み上げてきました。
それまでの曇り空が土砂降りの雨に変わったこの夜の情景は、
忘れられるものではありません。昭和五十四年七月十三日のことです。

一周忌の時、小学四年生だった三男が、
「兄さんのためにお経をあげたい」と言い出し、
浄土真宗の『正信偈』をひと言の間違いもなく最後まで諳んじました。
私たち夫婦が朝夕、憲美の遺影の前で読経していたものを
いつの間にか覚えていたのです。
いたいけな三男の姿に涙が込み上げ、
病院への怒りが静まっていく感覚を抱いたものです。

憲美は医者を夢見ていました。
親としてその夢を叶えてあげることはできませんでしたが、
ある時、老人ホームを建て、
いい医師とスタッフを揃えることなら自分でもできるはずだと考えました。

母が地区の民生委員だったこともあり、
私も福祉についておおよそのことは分かっていたのです。



当時、タクシー会社を経営していた私は建設費の目処をつけた上で
昭和五十五年に和歌山県に申請しました。
三、四年もすれば認可が下りる、
そうすれば憲美が喜ぶような、
どこにもない日本一の施設をつくろうと構想を温めていました。

幸い、美しい和歌浦湾を一望できる国立公園内の先祖伝来の一万坪の土地があり、
立地条件面も申し分ありませんでした。

ところが、何年待っても認可が下りないのです。
その頃、老人ホームといえば医療機関による運営が主で、
企業経営者の申請が珍しかったことに加えて、
憲美を亡くして以来、救急医療の問題点を訴え続けていた私は、
行政にとって煙たい存在だったことも一因となっていたのかもしれません。
一日千秋の思いで待ち続け、認可をいただいたのは、
申請から実に十五年を経た平成七年八月のことでした。

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