修行というと、お寺のお坊さんがする
何か「特別なもの」だと思いがちです
しかし、
修行というものは必ずしも
「特別な人たち」だけのものではありません。
本日は、あるがん患者さんと
円覚寺管長・横田老師のお話をご紹介します
人生を豊かに生きる知恵を、
お二人のやりとりから教えられます
「あるがん患者が語る、
人生最大の修行」
横田南嶺(円覚寺管長)
※
『致知』2015年11月号
連載「禅語に学ぶ」より
二年ほど前に『致知』の読者である
という夫人から手紙をいただいた。
手紙によれば、がん患者であるという。
切除手術を受け抗がん治療を受けながら、
幼い子供を育てているらしい。
そんな大病をして、
人はどう生きるのかを求めて『致知』を購読して、
私のことを知ったらしい。
拙著の『いろはにほへと ある日の法話より』を読まれ、
その中に書かれている、坐禅の要領として、
過ぎたことを気にしないこと、
これから起こることも気にしないこと、
彼女はこれをその通り実践された。
これは臨済禅師が
「既に起きた念は継続させぬこと、
まだ起こらぬ念は起こさせぬこと、
それが出来たら十年行脚修行するよりもまさる」
と仰せになったことによる。
彼女は
「大病をすると、失った体の一部のことや、
これからの不安など、ついつい考えてしまいます。
そんな時この言葉を思い出し、
今現在をしっかり生きようと、
今こうして生きていることに
感謝しようと思い直すことができるのです」
と言われていた。
更には
「この病気は今生きている感謝を学ぶ為に
天から与えられたものかもしれない」
とまで受け止められた。
そして
「お寺で修行は出来なくても、
病気と共に日常生活の中で生きている感謝、
生かされている感謝を学ぶ為に
自分なりの修行をしたい」
という決意が述べられていた。
私も
「お寺で型どおりの修行をするよりも、
今の置かれた状況の中で、
日常の生活で感謝の心をもって生きる
ことこそ最大の修行です」
と返信を書いた。
彼女は辛い闘病生活を送りながら、
その通りの「修行」をされたのであろう。
何度か手紙をいただいたが、
病はよい方向には進まなかったようだ。
それでも手紙には
「管長様の今生きていることに
感謝しましょうという言葉を頼りにしています。
どんなに苦しくとも今生きています。
それがすべての答えです」
と書かれていた。
いつかよくなって円覚寺に行って直接
私の話を聞きたいと書かれていたが、
ついにその願いはかなえられなかった。
そして彼女はとうとう……
※続きは最新号P112~をお読みください。
最新号のテーマは
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