ドラマになった車椅子バスケ選手


プロサッカー選手を志しながら
突然の交通事故で夢を断念。
車椅子バスケットボール選手、
指導者として新しい道を
開いてきた京谷和幸さん。

テレビドラマ
「君に捧げるエンブレム」の
モデルともなった京谷さんの
歩みの一端をご紹介します。

───────「今日の注目の人」───

☆ 逆境を乗り越えた先に見えたもの ☆

京谷 和幸
(車椅子バスケットボール
男子日本代表アシスタントコーチ)
     ×
長屋宏和(ヒロレーシング代表)

※『致知』2017年3月号【最新号】
※特集「艱難汝を玉にす」P54

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【長屋】
京谷さんは車椅子バスケット
をされる前は、プロの
サッカー選手として
活躍されていたんですよね。

きょうはせっかくですから
京谷さんの人生の歩みを
お聞かせくださればと思います。


【京谷】 
はい。私が生まれ育った
北海道室蘭市に室蘭大谷高校という
サッカー強豪校がありまして、
私が小学一年生の時に
全国大会で準優勝したんです。

その試合をテレビで観たことが
サッカーを始める
大きなきっかけになりました。
 
それで小学二年で
サッカーを始めたのですが、
六年の時にスペインで
ワールドカップが
開催されましてね。

その時にドイツ(旧西ドイツ)代表として
出場していたリトバルスキーの
プレーを見て、自分もそういう
舞台でやってみたいなと、
プロのサッカー選手になる夢を
持つようになったんです。


(中略)


室蘭大谷には特待生として
入ることができ、
一年生から10番をつけ、
レギュラーとしてプレーしました。

その翌年には日本ユースと
バルセロナオリンピックの
代表候補に選ばれていくのですが、
ちょうどその頃から、
日本でもサッカーのプロ化に向けた
動きが本格化しまして、
自分の夢が現実味を帯びていきました。


その後、
いろいろとスカウトが
あったのですが、最終的に
サッカーの強豪・古河電工への
入社を決め、Jリーグが
開幕する前の1991年に
プロ契約を結びました。


【長屋】 
まさにサッカー一筋の人生を
歩んでこられた。


【京谷】 
そうなんですが、
そこからは怪我ばっかりで、
なかなか結果が出せなくなったんです。
それにその頃、
現在の妻と婚約をしましてね。
これからの結婚生活のためにも
早く試合に出たいという
プレッシャーや焦りがありました。
 
僕を指導してくださっていた
岡田武史さんは、
「腐るな」
「我慢しろ、辛抱しろ。
絶対チャンスは来るから」
といつも声を掛けて
くれていましたが、
怪我が治って試合に
出られたと思ったら、
またメンバーから外される。

それを繰り返しているうちに、
もうすべてがいやに
なってしまったんですよ。

そういう中で、
1993年11月28日の
事故の日を迎えました。


実はその日は……



※京谷さんが車椅子バスケットを
 始められたいきさつ、
 その後の活躍については
 『致知』最新号で!

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