32歳の専業主婦が、たった3年で成し遂げた奇跡の会社再建

深刻な経営危機に陥った家業のダイヤ精機の経営を、専業主婦だった立場から32歳で突如引き継いだ諏訪貴子さん。大胆な改革を断行し、見事会社を再生してみせました。その軌跡は『マチ工場のオンナ』というタイトルでTVドラマ化もされています。社長就任当時は何をすればよいかさっぱり分からず、インターネットで「社長の仕事とは」と検索したという諏訪さん。一体どのように改革を成し遂げていかれたのでしょう。

社員全員が敵になった

(諏訪)

まずは誰よりも会社のことを理解していなければいけないと思い、総務や経理の部屋に籠もって過去30年分の経営資料に目を通し、分析しました。それともう一つは、社員さんと私の間に一線を引くことにしました。 

何よりも社員さんに一体感を持ってもらわなければいけないので、「私vs社員さん」という構図をつくりました。なので、私が最初に言ったのは、「あなたたちの底力を私に見せつけろ」と。あえて私を敵にすることで社員さんを奮起させて、私が出す課題をとにかくクリアしていってもらおうと思ったんです。

実は社長に就任する時に、2代目でなおかつ女性ということで、銀行さんの評価も悪く、合併を持ち掛けられまして、私は半年で結果を出すって啖呵を切ったんです。

私には半年しか時間がなかった。だから、当時はいつ起きていつ寝たのか思い出せないくらい、がむしゃらでしたね。その上で最初に行ったのがリストラです。27名いた社員さんのうち、設計部門を中心に5名のリストラを敢行しました。

(社員さんからの反発も大きかったでしょう)

ええ。彼らとしては私に社長になってくれとは言ったんですけど、それはお飾りや象徴としての社長であって、誰も経営してくれとは頼んでないんですよ。もう皆さん敵になりました。

ただ、私としてはそれでいいと思いました。皆さんが一体感を持って改革に取り組んでくれることが一番大事ですから。実際、半年を待たず、僅か3か月で数千万円の赤字を黒字転換させることができたんです。それで銀行さんも納得したのか、文句を言わなくなりましたし、社員さんも反発したり悪口を言ったり、なんだかんだありましたけど、誰一人として辞表を出すこともありませんでした。私を信じてくれた社員さんに本当に感謝しています。

1年目、2年目、3年目にやるべきこと

で、次に3年計画を立てて改革を断行していきました。1年目は意識改革で、基盤を固めようと。要するに教育ですね。

大手自動車部品メーカーで教わったことをアレンジし、自分で教科書をつくり、それを社員さんに伝えていきました。「整理とは要る物と要らない物を分けて、要らない物を捨てること。整頓とは要る物を使いやすく並べること」「人は言葉の意味を理解すると行動に差が出ます」という形で十分間講義をした後、すぐに現場に下りて、要らない物にすべてテープを貼っていく。1か月後には4トントラック1台分にもなったんです。

その他にも、5ゲン(現場・現物・現実・原理・原則)主義やPDCAなどの考え方を説いては実践させる、ということを一年かけて繰り返していきました。

(2年目は?)

考え方の基礎がしっかりしていれば、その後の応用はいくらでも利くんですね。なので、2年目はチャレンジの年で、世の中でいいと言われているものをすべてやってみようと。新しい機械を導入したり、IT化に着手しました。

人間というのはモチベーション高く始めたことでも、続けることが非常に難しいので、3年目は維持・継続・発展できるような仕組みづくりです。それまでやってきたことを徹底的に振り返り、無駄の排除と標準化を行いました。

3年が経つ頃には、社員さんが口々に「俺たち新生ダイヤだから」って笑顔で言うようになり、それを聞いた時に、これで3年改革は成功したと。今度は1年ごとに目標を決めて走っていく段階にシフトしました。

(本記事は『致知』2018年1月号特集「仕事と人生」を一部、抜粋したものです)

 

諏訪貴子(すわ・たかこ)

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昭和46年東京都生まれ。平成7年成蹊大学工学部卒業後、大手自動車部品メーカーのエンジニアとして2年間勤務。10年ダイヤ精機入社。16年父親の逝去を受けて社長に就任。著書に『ザ・町工場』(日経BP社)など。

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