気がつけばもう9月も終わりですね
本日は特別に、老いてなお情熱を持って
生きた二人の先哲の対談記事をご紹介します
二人の先哲とは『致知』でもお馴染みの、
森信三先生と平澤興先生
「老いるってことがまた素晴らしい」(平澤)と、
心から言える人生を歩みたいものですね
□■―――――――――――――――――――■□
「人間の成長に限界はない」
森 信三(国民教育の師父)
&
平澤 興(京都大学元総長)
? ? ? ? ? ?? ?※
『致知』
1986年7月
特集「なぜ燃え続けるのか」より
?
□■―――――――――――――――――――■□
【平澤】
しかし、私は世の中というか
生きるというか、まったく不思議その
ものだと思います。
例えば、人間は三十数億年前に命の元ができて、
今日人間になった、素晴らしいものになった。
こういうことの過程は大体わかるんですが、
しかし、その変化を起こす元の力は何かという
ことになるとね、わからないです。
わからんが、そこまで来るとわからんということが
またありがたいことですから。
それほど不思議な命をいま、
与えられておるわけだ。
【森】
そうですな。この地球上には人間以外にも
無数の生き物がおるにもかかわらず、
われわれは特に、人間として、
この世に生まれてきたわけですからな。
これは、努力したわけでなくてね。
それなのに一切の生き物のうちで
一番高い地位にある人間としての
生命を与えられておる。
それだけにどうしても、
それに値するような生き方をしなければね。
【平澤】
いま思い出したが、そういえば、
この間、こういう句を作った。
?
“あな尊(とう)と不可思議光のこの命
八十路の旅に 欣喜雀躍(きんきじゃくやく)”
【森】
ああ、いいです(笑)。
【平澤】
仏さまは尊いけれども、
われわれ一人ひとりも仏さまなんですよ。
人間というものを研究すればするほどそう思う。
不可思議光というのは
決して不遜の言葉ではないと思う。
人間というものを本当に知ったらね、
やっぱり、不可思議光です。
【森】
ごもっとも。
【平澤】
人間は凡夫だから、
なかなか思う通りにいかんけどね。
しかし、ところどころ失敗はあっても、
私はよくやってきたなあと自分を拝んでいます。
人も拝みますが、自分も拝む。
それは決して自分が
完全無欠であるという意味じゃない。
とにかく、へまもやってきたが、細かくいえば、
へまばかりですけど、
まあそれでも自分をごまかさないでやってきた。
ご苦労であったと、私は私にお礼をいう。
そのことはね、ちっとも私は
不遜でもないし、傲慢でもない。
尊い人間に生まれてね、
せめて自分にも手を合わせるぐらいの
感激を持たなければ、
ぼくはいけないと思いますね。
まあ、森先生、先生は91歳で私は86歳ですが、
「五十六十は花盛り、
七十八十で実がなって、
九十百は熟れ盛り」
でね。
老いるってことがまた素晴らしいと思うんだ。
【森】
八十には八十の楽しみがあるってこってすな(笑)
【平澤】
本当にね、
人間が人間であることは無限です。
*********************************
私も『致知』を推薦します!
伊與田覺 氏
論語普及会学監
『致知』が日本に於ける人間学追究の月刊誌の
泰斗と仰がれるに至った事は、全く驚きの他ございません。
新しい時代の先頭に立つ月刊誌に仕上げられたことは、
日本のためにも非常に喜ぶべきことだと思います。
*********************************
※創刊37周年を迎えた月刊誌『致知』
最新号のテーマは
? ?「先哲遺訓」