「日本料理・未在」店主・石原仁司さんのプロ魂

撮影:村越 元

半年待たないと予約が取れない人気の高級料亭が京都にあります。石原仁司さんが経営する「日本料理・未在」です。石原さんは15歳で吉兆の創業者・湯木貞一さんに弟子入りして腕を磨く一方、禅の教えにも触れて料理に真心を込めてこられました。京都吉兆料理長、総理庁を経た後独立し、平成16年に京都東山の円山公園に未在を開店されます。未在で1日にもてなすことができるのは14名のみ。石原さんは料理や接客にどのようなこだわりを持ち、この一道を極めてこられたのでしょうか。

接客で何よりも大切なこと

誰だってそうでしょうが、辛くなると手を抜きたくなるんです。だけど、そんなことではいけない。お客様に見えるところだけがいくらきちんとしていても駄目です。だから、準備や仕込みの段階からしっかりやる、ということですね。食材を仕入れる、調理をする、人を育てる、そのすべてが味に影響しますから。

僕はいまでも毎日、朝から食材の買い出しに行きます。市場だけでなく、よいものがあると聞けば直接生産者のところに出向いたり京都中のスーパーの生鮮食料品売り場にも足を運んだりします。自分の目で見て自分の足を使って食材を仕入れ、それを料理にして味わっていただく。僕は料理人の原点はそこだと思うんですよ。

スタッフはいまは6人ですけれどもね。接客では何よりも真剣さが大切だと言っています。真剣は真心に繋がるんです。「君たちにその真心があるのか」ということは常に言っていますね。第一、真剣さがないとお客様に心は伝わりませんよ。若いスタッフの多少のミスはお客様は笑って許してくださるかもしれませんが、不真面目でいい加減だったら許してもらえるはずがない。

うちは1日1回、14席のカウンター席のみです。これが僕が細やかに目配りできる限度なんです。35000円の月替わりの懐石料理には、厳選した旬の食材300種類以上を使います。味に直接影響するわけではありませんが、見た目をよくするためにマグロの赤身からは血管をすべて丹念に取り除いていきます。そうやって食材のよさを最大限に引き出した料理をお出して初めて、本当のおもてなしだと僕は考えているんです。

縁あって一緒になっ14名のお客様が、一つの空間で同じ料理を味わって感動をともにされる。これを僕は「一座建立」と言っていますが、その真剣勝負の場に居合わせられるのは、やはり最高の喜びですね。

亡き師匠からの教え

いまでも忘れられない思い出があるんです。僕は27歳で嵐山吉兆の料理長になって間もなく、大ご主人(湯木貞一さん)が毎週店にきては目の前に座って料理を食べられました。特にお出汁にはうるさい人でしたので、お椀の吸い物を口にする度に「もう一回」と言われました。そう言われて出汁をひき直すと、また「もう一回」と。多い時は1日に3回もひき直したことがあります。

鰹が足りないとか昆布が効いていないとか、そういうことは一切言わない。それが18年間も続いたんです。大ご主人は結局、それが何だったのかを説明しないまま平成9年に96歳で亡くなるんです。

もちろん「まだまだ未熟だ」という意味もあったと思います。だけど、僕が思うには一番、一番が勝負だよ、吸い物はそう簡単なものじゃない、料理の道は無限であるという精神を伝えてくださったのではないか、と。

このような教育を受けたのは僕一人というわけではありません。仲間のうちには「また、大ご主人が何か言っている」と軽く受け流す者もいましたが、僕はそう思わなかった。

料理人は大ご主人のために当番で風呂を沸かしたり、足もみもしたりしていました。妻帯者はそれを免除されることになっていたんですが、僕は大ご主人の側にいたかったから、結婚してもずっと続けていたんです。それから20年ほど経って、初めてですよ。「ああ、ワシの弟子やな」と言ってくださった。その時に本当に涙が出ましたよ。

別に誰かが聞いているわけではないんだけど、そう言ってもらえた、思ってもらえたことだけでも、「ああ、吉兆にいてよかった」と心から思いましたね。

著者紹介

◇石原 仁司(いしはら・ひとし)

━━━━━━━━━━━━━━━━

昭和27年島根県生まれ。43年大阪高麗橋吉兆本店に入店、故湯木貞一氏に師事。京都龍安寺大珠院住職・故盛永宗興老師と出会い、師事を仰ぐ。京都吉兆料理長を経て平成4年総料理長に就任。16年京都東山の円山公園に未在を開く

月刊『致知』最新号の内容は こちらから

人間力・仕事力を高める記事をメルマガで受け取る

その他のメルマガご案内はこちら