2026年05月01日

~本記事は月刊『致知』2026年5月号 特集「人を育てる」掲載対談の取材手記です~
「水の中で輝く命」
こんな活動をされている人がいるのか! 約3年前のことです。各地域で尊い活動を続ける人々を追ったNHKの密着番組で、障がいのある子供を広く受け入れ、30年にわたって市民プールで水泳指導を続けている女性がいる……。
それが、海と湖、水に囲まれた静岡県浜松市の「ぺんぎん村水泳教室」代表・伊藤裕子さんの存在を知り、取材を申し込んだきっかけです。
「ぺんぎん村」の歴史は1992年に始まります。当時、民間スイミングスクールのインストラクターだった伊藤さんは、お母さんに連れられてやってきた車いすの小学一年生の男の子の入会を受け入れようとしました。ところが、そのことが社内で報告されると、知らない間に会社が、その男の子の入会を断ってしまったそうです。
上司から「菓子折りを持って謝ってくるように」……。そう言われて伊藤さんがご自宅を訪れると、悲しい現実に直面します。
「その子が『なんで僕はダメなの?』と泣いている。一番悲しいのはお母さんです。『私が障がいのある子を産んだばっかりに……』って、涙を流して苦しみを吐露されました。
ちょうど、私の1人目の子がおなかにいたのもあって、憤りを感じました。障がいのある子を産みたいと思って産む親はいません。それでも障がいを伴って生まれてくる子はいる。どうしてそれを受け入れられる社会になっていないんだろうって」
これが、伊藤さんが教室を立ち上げる決意をした瞬間でした。
ここから、周囲の無理解や批判の目に耐えながら、教室をつくり上げていかれるのですが、この伊藤さんの歩みが『致知』2023年12月号の連載「致知随想」に「水の中で輝く命」と題して掲載され、感想を多くいただきました。その反響を受けて、翌年の『致知別冊「母」2024』、そして2025年、ベストセラーシリーズ最新刊にあたる『1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書』(いずれも弊社刊)に記事が収録されました。

一本の記事が脈々と読み継がれていく。担当者としてこの上ない喜びを感じていましたが、まさにその『365人の人間学の教科書』を担当した先輩編集者を含む上司が改めて感動。いま一度伊藤さんに取材をしては、との提案が会議で上がり、〈対談〉という形で再登場いただくことになったのでした。そこで、お相手の候補に挙がったのが、現役のパラリンピック水泳金メダリスト・鈴木孝幸選手でした。
お互いが人生のキーパーソン

対談はまだ肌寒い2月末、鈴木選手の所属するゴールドウイン社にて行われました。お二人とも多忙を極める中、わざわざ調整してくださったのでした。
鈴木選手といえば、先天性四肢欠損で手足にハンディを抱えながら、力強い泳ぎで2004年、17歳の時のアテネパラリンピックで初の金メダルを獲得。雌伏の時を乗り越え、先の東京大会、パリ大会でも連続の金メダルを手にされたトップ選手です。
そんな鈴木選手が、なぜ対談を快諾されたのか。それは何を隠そう、浜松市出身の鈴木選手が小学校に上がり、初めて通った水泳教室こそが「ぺんぎん村」だったからです。同時に、コーチである伊藤さんにとっては、苦しかった草創期の卒業生の一人なのです。
雑談される様子を見ているだけでも、いまは活躍の場所こそ離れているものの、固い絆で結ばれていることがよく分かりました。

〈伊藤〉
出逢ったのは、私が「ぺんぎん村水泳教室」を始めて2年目に入る頃でした。まだ6歳だったから、抱っこして水に入れたのよね。もう30数年が経ちますけど、この間のパリパラリンピックでは金を含めて4つもメダルを獲得して、こんな世界的な選手になるなんて想像していませんでした。

〈鈴木〉
正直、水泳でここまで来るなんて全く思っていなかったです。
伊藤コーチに出逢って30年と聞いて思うのは、これだけ多様性が叫ばれているいまでも、障がいのある子がスポーツ施設の入会を断られることはあるんですよ。誰が悪いという話ではなくて、未だにそうなのに、ぺんぎん村は30年以上前から障がい者にも門を開いてくれていた。それは、僕がキャリアを積んでいく第一歩として非常に重要なことでしたし、感謝しています。
ぺんぎん村の入会をきっかけに、様々な出来事を経て、世界の大舞台へと飛翔された鈴木選手。その歩みは同時に、伊藤さんにとっても非常に重要な意味を持っていたそうです。
〈伊藤〉
出逢った時、右手は肘まで、左手は指が3本だけ、両足のない先天性四肢欠損だと聞いて、情けないですけど、「プールサイドに出れば絶対に注目を浴びる。この子を守ってあげられるのかな」と心配しながら受け入れました。
でも、当の本人はやんちゃで物怖じもしない、水着に着替えるとひょこひょこ自分で歩いてプールに行く。こちらはドキドキですよ。
そうしたら早速他の子に囲まれて、恐れていたひと言が飛びました。「ねえ、何で手がないの?」。守ってあげなくちゃ、と思った瞬間、肘までしかない右腕を出してこう言ったんです――(略)
そこで鈴木選手が放った、ある一言が、伊藤さんの志を決定づけたといいます。
〈伊藤〉
この出来事が私の人生を決めました。なんでいままで私は、社会の目を気にしながら教えていたんだろう。どの子も自分らしさを認めてもらいながら、自分のままで皆一緒に生きていける、そんな社会をつくろうって。
私はあの時の光景が、未だにありありと浮かびます。私にとっては、志を後押ししてくれる存在なんですよ。いつの間にかこんな大人になっちゃって。
〈鈴木〉
立派になりましたね(笑)。
実際に泳いだ時、伊藤コーチに「すごい、最初から真っすぐ泳いでるね!」と褒めてもらって。自然に水泳が好きになりました。
どんな人に出逢うかで人生は決まる、と言っても過言ではないでしょう。水の中で育まれたお二人の絆の軌跡は、それを象徴しているように思えます。
どんな子にも無限の可能性が秘められている
〝師弟〟であると同時に、健常者も障がいのある子も何も変わらないこと、互いに理解し合うことの大切さをそれぞれの実践を通して発信する〝同志〟でもあるお二人。今回の対談は、様々な示唆に富むものでした。
●6歳の鈴木少年が放った衝撃のひと言
●障がいや重い病気のある子を泳げるようにする秘訣――水の中に潜む力
●先天性四肢欠損の鈴木選手の生活力、人間力を養った〝おばあちゃん〟
●ハンディを抱えた子、その家族も変える「ぺんぎん村」の指導
●13年ぶりのパラリンピック金メダルを獲得した鈴木選手が語る「人生の突破法」
●お風呂場で転倒して溺れ、全身硬直、表情を失った女の子が笑った日

どのお話も、聞いていて考えさせられる、また深く頷かされるものばかりでした。お二人の人生が示すメッセージは、「どんな人(子ども)も無限の可能性を秘めている」ことでしょう。
最後に、それぞれの心に残った言葉を紹介します。
〈伊藤〉
どんな困難を抱えた子でも、できる可能性を秘めている。全く見たことのない障がいのある子でも、その子なりの可能性が絶対にあって、水の中なら引き出せる。実際、最後まで泳げなかった子は一人もいません。
〈鈴木〉
(メダルなしに終わったリオ五輪の結果について)本当に強い選手というのは、いかに不利な状況でも金メダルを獲るものです。少なくとも表彰台に上るくらいの地力がある。自分にはそこまでの地力がなかったんだと反省しました。やっぱり、その環境でベストを尽くしたら、できなかったことをくよくよ引きずらないことですね。それでは前に進めないですから。
お二人の軌跡と実績は、「人を育てる秘訣」と「ハンディの中で困難を乗り越える心の持ち方」の両方に通じると共に、人間の無限の可能性を感じさせ、世の中に一石を投じるものと思います。ぜひ、ご一読いただければ幸いです。
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~本記事の内容~
◇地元・浜松の市民プールの片隅から
◇指の大怪我と水の中の気づき
◇「これが僕の手だよ!」6歳の鈴木少年の衝撃
◇人生を導いてくれた〝おばあちゃん〟
◇水の中で子供の本能的な動きを伸ばす
◇大人の都合で子供の可能性を潰さない
◇成長しているのにメダルゼロの苦しみ
◇パラリンピック13年ぶりの大金星への軌跡
◇いかに子供たちの可能性を引き出すか
◇3つのことに集中する ―― 人生の突破法
◇いつまでも自分はチャレンジャー
◆伊藤裕子(いとう・ゆうこ)
昭和37年岐阜県生まれ。短大卒業後、幼稚園教諭、複数の民間スイミングスクールでのインストラクターを経て平成4年、障がいのある子も健常の子も分け隔てなく受け入れる「ぺんぎん村水泳教室」を浜松市内の市民プールに開設する。9年中日新聞教育賞受賞。令和3年文部科学大臣表彰受賞。
◆鈴木孝幸(すずき・たかゆき)
昭和62年静岡県に先天性四肢欠損で生まれる。平成16年17歳でアテネパラリンピック出場、初の銀メダル。北京大会以降、日本選手団競泳チームの主将を三度務める。25年より英国留学。同大学院博士課程でも学問を深める。令和3年紫綬褒章受章。ゴールドウイン所属。これまでパラリンピック6大会に連続出場し、通算メダル獲得数は14。











