2026年04月12日
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聴覚障害者の就職支援事業や、ろう難聴児の放課後等デイサービス「デフアカデミー」の運営、企業のコミュニケーション研修プログラムなど、幅広く事業を手掛ける株式会社SilentVoice代表の尾中友哉さん。尾中氏の原点には、聴覚障害を持つ両親のもと生を受け、自身は耳が聞こえるCODA(コーダ)として手話を母語に育った過去がありました。幼少期の忘れられないという思い出を振り返っていただきながら、氏の仕事の原点について語っていただきました。
(本記事は『致知』2018年8月号致知随想「聞こえないからこそ伝えられること」より一部を抜粋・編集したものです)
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忘れられない思い出
<尾中>
僕は、両親が聴覚障害者という環境で生まれ育ちました。両親はともに幼少期に40度を超える高熱を出し、薬の副作用で聴力を失いました。聾者の全国大会で出会ったことが縁で、結婚したのです。
耳が聞こえず日本語が明瞭に話せない両親にとって、子育ての苦労は半端ではなかったはずです。僕たち3人のきょうだいに障害はありませんが、両親は子供たちの泣き声が聞こえないために、表情を見ながら気持ちを読み取っていたと聞いています。
僕が生後9か月で初めて覚えた意思伝達は、舌を出して口を指さし、お腹が減ったことを伝えることでした。その後、両親に倣って少しずつ手話を覚え、コミュニケーションが取れるようになりました。
このように述べると、さぞかし家庭内の会話が少なかったのでは、と思う方がいますが、答えは逆です。手話は常にフェイス・トゥ・フェイス。テレビを見ながら生返事をするような〝ながら会話〟は絶対にできません。そこには、心が通い合う親密なコミュニケーションがありました。
忘れられない思い出があります。幼稚園入園当時、手話を覚え、まだ日本語がおぼつかなかった僕は、友達に自分の意思を伝えることができず、混乱してばかりいました。手話で話しかけたところ、魔法をかけられたと勘違いして逃げられたのがショックで、以来、怖くて周囲との接触を避けるようになったのです。
幼稚園の遠足の日、友達のT君が僕のために木イチゴを取ってきてくれました。T君は木イチゴを頬張りながら、「おいしい」という思いを体全体で表現してくれ、僕も体で思いっきり返事をしました。気持ちが打ち解け、T君とはすっかり仲良しになりました。
その夜、僕は生まれて初めて友達ができた喜びを両親に伝えました。ところが、どうしても手話に変換できない言葉がありました。木イチゴです。悔しくて泣いている様子を見ていた父は家族を車に乗せ、遠足の栞を手に遠足で歩いた山道を走りました。車を降り、林の茂みから木イチゴをもぎ取り、誇らしげに見せる僕を父は優しく抱き上げてくれました。
木イチゴというひと言を、こうしてようやく伝えられたのです。しかし、僕はそれがムダな時間だったとは全く思っていません。むしろ一つのことを家族で諦あきらめずに成し遂げたことで、絆をより深めることができたのですから。この日の幸せな記憶は、いまの仕事の原点となっています。
(本記事は『致知』2018年8月号致知随想「聞こえないからこそ伝えられること」より一部を抜粋・編集したものです)
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