2026年04月10日
~本記事は月刊誌『致知』2026年5月号 特集「人を育てる」に掲載の(体験的教育論「我が矯正人生」――Sとの出会いが教えてくれたこと)の取材手記です~
矯正職員にこそ人間学が必要
『致知』5月号が読者の手に届いて早々、大きな反響を呼んでいる特集記事があります。「体験的教育論/我が矯正人生──Sとの出会いが教えてくれたこと」と題する亀井史巠(ふみひろ)さんの体験記です。

亀井さんは広島県在住の元刑務官。御年85。『致知』の愛読者のお一人ですが、昨年、弊社お客様係宛に手紙を寄せられました。そこには『致知』に出合えたことへの感謝に続いて、次のように綴られていました。
私は、下半身不随の父と片目失明した母の元に生を受け、5歳の時に被爆し生死の境を彷徨う貧しく厳しい生活を送ってきましたが、両親は常に「神仏や祖先の御加護により尊い命を授かってこの世に生まれてきたのだから、どんなことがあっても、どんな人とでも支えあって生き抜くこと」と教えられて育ちました。
以来私は、自分の人生や職業を自分の意思で計画し、実行して来た意識はなく、『致知』2025年10月号の[特集]出逢いが運命を変える を地で行くような人生を送ってきました。……(中略)……(犯罪者の)矯正効果を高めるためには矯正職員の人間力を向上させることが急務と思われますので、人間学を学ぶ月刊誌『致知』を活用させて頂きたいと思います。
そして、この手紙には、亀井さんが現役時代の出来事を書き留めた小冊子が同封されていました。それを読んだ弊社社長・藤尾秀昭がいたく感銘を受け、この度の取材、掲載に繋がりました。ちなみに1月24日に開催された弊社主催の新春特別講演会の折、講演の中で藤尾がこの手記の一部を読み上げたところ、会場のあちこちで多くの人が涙を拭う姿が見られるなど大きな感動に包まれました。
後光が射していた母親の思い出
お手紙にあったように、亀井さんのご両親は共に身体障害者でした。それでもハンディをものともせず、人としての正しい道を貫き、亀井さんとそのごきょうだいにも正しい生き方をするよう教育されました。ここでは広島に原爆が投下された後のお母様の実話を紹介します。亀井さんの自宅は爆心地から20キロほど離れていたため、一家が直接被爆することはありませんでしたが、当時5歳だった亀井さんは原爆投下後に降った黒い雨に打たれた水槽の水を分からずに口にしたため、生死の境を彷徨うことになります。
私は黒い雨に打たれた水槽の水を思わず口にしてしまいましたが、父が吐き出させてくれ、苦しみながらも一命を取り留めました。
数日後、何やら外が騒がしいので覗いてみると、全身焼けただれた3、4人の若い母親が小さな子供たちを連れ、食料や水を求めて山間部の私たちの村にやってきていました。その姿を見た母はすぐに「お兄ちゃんは水をあげなさい。お姉ちゃんはお湯を沸騰させておきなさい」と私たちきょうだいに指示し、母はトウモロコシを採りに畑に行きました。
このトウモロコシは母と私が2人で開墾した小さな畑で穫れたもので、母はそれを茹でて輪切りにし、家族に分け与えました。自分たちが育てたトウモロコシを食べるのを楽しみにしていた私は、思わず愚痴をこぼしました。
すると、声こそ大きくはありませんでしたが、母は烈火の如く怒ったのです。「あなた、何を言っているんですか。困っている人を助けるのが先でしょうが。あの人たちは家を焼かれて、夜を徹して命からがらここまで逃げてこられたんです。私たちの家に休んでいただいたのもご縁と感謝して助けてあげるべきでしょうが。人間は人を幸せにするために尊い命を授かってこの世に生まれてくるのです」
亀井さんは、被爆した家族を温かく見送る母親の姿がまるで後光が射しているかのようだった、と回想されています。

「生きた鬼」Sさんのこと
亀井さんは38年間の矯正人生の中で多くの受刑者の処遇に当たってきましたが、とりわけ心に残っているのがSさんという5歳年下の男性だったといいます。そのSさんはどういう犯罪者だったのか。亀井さんの言葉を紹介します。
昭和40年4月10日の午後10時30分頃、A刑務支所拘置監から「死刑判決を受けた被告人が逃走した。逃走者捜索のため、警備応援の準備をして待機せよ」との第一報が入りました。これがSとの出会いの始まりです。(中略)
護送車両が拘置所に到着すると、初めに機動隊の服装をした警察官8名が下車し、乗降口の両サイドに4名ずつ分かれて人垣をつくり、その間を後ろ手錠姿のSが警察官に連行されてきました。私は、その護送警備体制の厳重な様子から、Sの尋常ではない凶暴性を感じ取ったのでした。
入所手続き中、Sは殺気立って全身を激しく揺さぶり、警察官の制止を振りほどいて立ち上がると、我々に唾を吐きかけ、続いて体当たりを仕掛けようとして、これを制止されると辺り構わず周囲にある物を蹴散らしながら「なめるなー!」と怒鳴り散らす狂乱状態となりました。この時の怒り狂ったSの怒髪天を衝く形相はまさに鬼、猛獣そのものでした。これがSとの出会いであり、生きた鬼に出会ったのは後にも先にもありません。
「生きた鬼」と呼ばれたSさんですが、亀井氏との出逢いはSさんに劇的な変化をもたらします。亀井氏はSさんをどのように教え導いたのか、そしてSさんはどのような変化を遂げたのか。時に厳しく、時に慈父のように接しながらSさんを更生へと導いた感動の軌跡、そしてSさんが処刑前にしたためた遺書の内容は、ぜひ誌面や致知電子版でお読みください。その実話はまさに人を育てる要諦とも言えるものです。
亀井さんが語る『致知』の魅力
受刑者を更生に導く矯正職員に限らず、人が生きていく上で人間学、人間力は決して欠かすことができないというのが亀井さんの根底にある考えです。ご自身で熱心にお読みいただいているだけでなく、「日本になくてはならない月刊誌」として、縁ある皆様方に『致知』の魅力を伝えてくださっています。
~本記事の内容~
◇人生の道標となった「三勤」の教え
◇困難な人を温かく見送る母の姿
◇常識が通用しない広島拘置所の実態
◇自分の躬行実践以外方法はない
◇心を開きかけた瞬間
◇凄絶を極めるSの養育環境
◇Sの遺書に書かれていたこと
◇人間には皆果たすべき使命がある
かめい・ふみひろ―昭和15年広島県生まれ。37年刑務官を拝命。佐世保刑務所長、横浜刑務所総務部長、福岡矯正管区第二部長、横浜刑務所長などを歴任し平成12年に退職。現在広島県安佐北警察署協議会会長。30年瑞宝小綬章受章。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください










