2025年11月02日

~本記事は月刊誌『致知』2025年10月号 特集「出逢いが運命を変える」に掲載の対談(終わりなき旅路をゆく)の取材手記です~
「ヘアカット」と「フランス料理」 それぞれの雄による異色の対談
国内屈指の技術を擁する美容室「PEEK-A-BOO(ピーク ア ブー)」を経営し、美容師界を半世紀以上にわたって牽引し続ける川島文夫さん。
日本の料理人として唯一、フランスの国家勲章〝レジオンドヌール〟の称号を持つフランス料理シェフの三國清三さん。
業種をまったく異にし、それぞれ〝ヘアカットの神様〟〝フランス料理の巨匠〟と呼ばれる両者が相まみえた今回の対談ですが、実はお二人は35年以上の深い絆で結ばれた、いわば戦友のような間柄でいらっしゃいます。
川島さんに、初めて弊誌にご登場いただいた2025年4月号の取材(1月上旬)以来、筆者は川島さんのヘアサロン「PEEK-A-BOO」に通う中で度々三國シェフを目にしました。また、三國シェフが運営するYouTubeチャンネルにおいては、数年前に川島さんとの会話が公開されています。
そうしたやり取りからお二人の関係性を知るうち、歩んできた道のり、成し遂げた偉業、仕事への姿勢……。共鳴し合う部分が驚くほど多く、感銘を受けたことから、今回の企画を立案する運びとなりました。
お二人にぴたりと合う特集を待ち続け約半年、10月号の特集が「出逢いが運命を変える」に決まったことで、満を持して対談が実現しました。取材では、まさしくお二人の出逢い、恩師との出逢い、そして数々の挑戦の軌跡をテーマに、120分間の熱論が交わされました。
対談のタイトルは「終わりなき旅路をゆく――出逢いと挑戦の軌跡」です。

お二人の出逢いは35年ほど前、ある洋服ブランドの広告撮影を控えた三國シェフが、「PEEK-A-BOO」にヘアカットを依頼したこと。その時は別の美容師に担当してもらったとのことですが、後日店舗を訪問し、三國シェフは初めて川島さんのヘアカットを受けることになりました。この日から、実に35年以上にわたるお二人の交流がスタートするのです。
お二人は互いの印象について、こう語ります。
〈川島〉
初めて食事をいただいた時は衝撃を受けましたよ。1皿1皿の洗練度合いがまるで違う。まさに究極のフランス料理だと感激しました。特に印象に残っているのが、デザートにおいしいチョコレートを食べた時のこと。三國さんがやって来ていいことを言ったんです。
「最後に最高のチョコレートを出すのが、最高の料理人です」と。
〈三國〉
僕は今年(2025年)71歳になりましたけど、お世辞抜きで川島先生を目指しているんです。先生は喜寿を迎えるいまも現役バリバリ。先生の姿を見て、「ああ、僕も頑張らなきゃ」と思うわけです。
心から尊敬しています。

〈取材前、三國シェフの髪を整える川島氏〉
また、一口に35年といっても、驚くべきことに、三國シェフは当初から2週に1度のペースで川島さんのカットを受けているとのこと。そのきっかけになったのが、初めてカットを受けた日に川島さんから言われた一言だったと本誌で語っています。
〈三國〉
(川島)先生は開口一番に、「これから2週間に1度来るなら担当する」と言ってね。理由を尋ねたら、「2週間に一度カットすると、いつ誰と会っても髪の長さが一緒になる。それが格好いいんだ」と。
以来、2週間に1度は欠かさず通い続けてもう35年ですよ。
美容に人生を捧げてきた川島さんらしい美意識と信念に感銘を受けると共に、その教えを長きにわたり忠実に実行し続ける三國シェフの姿勢には驚嘆したものです。
取材開始直後のこんな些細なやり取りにも、お二人の一流たる所以(ゆえん)が垣間見えますが、本誌では終盤まで、とめどなく繰り広げられるお二人の仕事談義が、全10ページ約14,000字にわたって余すところなく盛り込まれています。
下記がその流れになります。
本記事の内容 ~全10ページ(約14,000字)~
◇35年以上にわたり親交を深めてきた道友
◇すべての人を平等に綺麗にしたい
◇8席の即興料理店「三國」に懸ける思い
◇世界に負けるな 自分に負けるな
◇人の嫌がる雑用が道を拓く
◇運命を変えた〝料理人の神様〟との出逢い
◇〝厨房のモーツァルト〟から学んだこと
◇「ハサミ一つで世界を変えた男」との邂逅
◇ヘアデザインは偶然ではなくテクニックで成り立つ
◇どんな大波でも真っ直ぐ突っ込めば沈まない
◇人間が休む時は死ぬ時
◇いい美容師である前にいい人間でなければならない
世界一の人物に師事した両者に共通する、修業時代の驚くべき行動
お二人の共通点は、本誌に数多く紹介されていますが、中でも筆者が心を動かされたエピソードがあります。
それは、名もなき修業時代、両者が共通してとったある行動でした。まずは三國シェフ。
〈三國〉
(スイスの日本)大使館の仕事に励む傍(かたわ)ら、腕を磨くために週1回の休みはどこかの厨房で働きたいと思ったんです。いい店がないかと考えを巡らせていた折、郊外にメニューのないレストランがあるとの噂を聞きつけました。その店の店主こそ、フレディ・ジラルデさんでした。
当時は三つ星シェフではありませんでしたが、この人しかいないと直感し、アポなしで押しかけました。彼はいつも怒っていたから、当然門前払いされるわけです。
それでも食い下がって、店の前で夜まで待ち続けていると、洗い場にポーンと放り込まれました。これはしめたと。溜まった洗い物をすべて終えたら「お前はどうしたいんだ」と聞かれたので、「大使館が休みの日曜日だけ働きたい」と伝えると、「勝手にしろ」と。
続いて川島さん。
〈川島〉
海外で活躍する美容師になるには、いち早くアメリカの文化に触れたほうがいいんじゃないか。そう思い立ち、高校は入学後8か月でやめて、美容専門学校に進学しました。卒業後は在日米軍施設・グラントハイツ内の美容室で働きながら英語を学びました。
そこで働く仲間が海外に渡る姿を見る度、アメリカへの思いは募るばかり。ただ、当時はベトナム戦争の最中で、アメリカに行けば招集されるかもしれないと思い、隣のカナダに降り立ったんです。1968年、19歳の時です。
(つては)何一つない(笑)。どうにかなるだろうという安易な考えで飛び込んだんです。トロント市内のサロンを何軒か回り、断られても「雇ってくれるまでここを動かない」と店の前に居座る。三國さんと同じやり方で個人経営の小さなサロンに入れてもらいました。
なんと、お二人は逆境の突破の仕方まで共通している(笑)。やはり運命的な出逢いだと感じます。
三國シェフがこれを機に、〝20世紀最高のフランス料理人〟と称されたジラルデに師事するチャンスを得たのも、川島さんがのちに〝ハサミ一つで世界を変えた男〟と呼ばれた、かのヴィダル・サスーンの弟子となるのも、こうした執念、燃えるような情熱と無縁ではないでしょう。
これほどの覚悟と実行がなければ、世界で頭一つ抜ける一流の存在にはなれないのだと、若い世代に大きな刺激と勇気を与えてくれるエピソードです。
本誌では他にも、お二人がなぜ雑用から世界のトップへ上り詰めることができたのか、その理由と方法が幾つかのエピソードを通じて紹介されています。そこにもまた共通点があり、あらゆる仕事を発展させる秘訣を学び取っていただけるはずです。

挑戦は終わらない
いまや世界的な評価を確立し、それぞれの業界において重鎮となったお二人。しかし、お二人が常人と一味も二味も違うのは、いまなお挑戦を続けていることでしょう。
川島さんは、喜寿を迎えるいまも週に4日は店に立ち、なんと1日約20人のカットを担当するのだとか。サロンに立たない日も日本全国、時に世界各地を飛び回って技術指導やヘアショーに勤しんでおられます。
三國シェフもまた、今年(2025年)9月に、自身の集大成となる新店「三國」をオープン。70歳を超えて、即興料理を意味する〝スポンタネ〟という全く新しいスタイルに挑戦します。
お二人を見ていると、自分を満足させる要因が、地位や名声といった外側ではなく常に内側、つまり心の中にあることを強く感じます。
最後に、お二人の挑戦に懸ける思いを象徴するような一言。
〈三國〉
僕が料理人になって最初に描いた志は、自分一人で1から10までつくって、お客様に提供したいということでした。やりたかったことをやり残すべきではないと決心して、(「三國」で)1から始めることにしたんです。
完成したものは壊さなければ次の展開がありません。
〈川島〉
僕は50歳でようやく登山の入り口に立ち、いまは7分目くらいで頂上に向かって駆け上がっている最中です。
人間が休む時は死ぬ時ですよ。
ここには到底紹介しきれない、お二人の珠玉の言葉の数々をぜひ本誌でご覧ください。
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