「正義よ、何ごとも人様のお陰やで」——孫正義の人生の背骨になった祖母の言葉


日本を代表する経営者で、ソフトバンクグループ創業者の孫正義さん。一代で世界的企業を築き上げながらも、いまなお飽くなき挑戦を続ける孫さんの原点には、祖母の忘れ得ぬ言葉があったと言います。
(本文の内容は1998年掲載当時のものです)

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忘れ得ぬ祖母の言葉

〈孫〉
僕も創業のころは、夢と志しかなかったが、そのときに物心両面から応援 していただいた7人の方がおられます。 僕はその人たちを「七大恩人」と名づ けて 感謝する日をもうけているんです。

〈竹村〉
その一人にシャープの副社長 だった佐々木正さんがいますね。僕は日本の液品の父と言われる佐々木さんとは昔から親しい間柄なんですよ。

〈孫〉
本当に佐々木さんにはお世話になりました。

1982年に東京でソフ トバンクを立ち上げる時、運転資金と して1億円が必要でした。でも、担保も何もありません。

融資をお願いした第一勧銀の役員からそのことを聞いた佐々木さんは、自分の家を抵当に入れ、それでも足りない分は親類からかき集めるとまで銀行に言ってくださった。

銀行も非常に好意的で、「佐々木さんがそこまで言われるなら」と頭取から融資のオーケーをいただけたのです。

〈竹村〉
佐々木さんも立派だが、銀行も立派です。

〈孫〉
そのようにこれまでの40年の人生において、僕が心から感謝する数多くの人たちとの出会いがありました。

最近、おばあちゃんの「正義よ、何ごとも人様のお陰やで」という言葉をよく思い出します。

僕の一家で一番苦労したのはじいちゃん、ばあちゃんで した。日本に渡って来たばかりのころは言葉も喋れないし、財産もなければ 頼れる人もいない。むしろマイナスのハンディキャップがいっぱいあったんじゃないかと思っています。

5つか6つのころの僕は、おばあちゃんが引っ張るリヤカーの後ろに乗ってチョロチョロついて回ったものですが、そんなときに、おばあちゃんが「人様のお陰」と僕に言い聞かせる。

幼いころは、その言葉に反発を覚えたものですが、年を重ねていくにつれ、「なるほど、そうだなあ」と思うようになりました。

今はおばあちゃんが言っていたのは こういうことかと、とてもよく理解できるのです。


(本記事は月刊『致知』1998年2月号 特集「創意と工夫」より記事の一部を抜粋・編集したものです)

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◇孫正義(そん・まさよし)
昭和32年佐賀県鳥栖市生まれ。久留米大学付属高校に入学後、同49年9月米国サラモンテ・ハイスクールへ。同50年9月ホーリーネームズ大学に入学。同52年カリフォルニア大学バークレー校に編入。在学中に「音声装置付き多国語翻訳機」を発明し、㈱シャープとライセンス契約する。同55年同大学卒業。同56年9月㈱日本ソフトバンクを創立。

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