2024年11月27日
津軽海峡の海底下約100メートルの地中を穿ち、構想から40余年の歳月をかけて完成した全長53.85キロメートルを誇る日本最長の海底トンネル、青函トンネル。2016年3月に、青函トンネルを通る北海道新幹線が開業し、大きな話題を呼びました。掘削工事を闘い抜いた元トンネルマンの角谷敏雄氏に、現場での苛酷な作業について振り返っていただきました。※写真は角谷氏が指揮を執った角谷班のメンバー(中央で腕を組んでいるのが角谷氏)
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想像を絶する苛酷な作業
──具体的にはどのような仕事を担当されたのでしょうか。
<角谷>
私が担当になったのは、地質調査や施工技術の開発のために、実際に列車などを走らせる「本坑」に先立って掘られる「先進導坑」で、岩盤に穴を開けてダイナマイトを差し込み、爆破しては掘り進んでいく「切羽」という部署に配属されました。
爆破しては掘り、崩れてこないように周囲を補強して、また爆破しては掘り進む。その繰り返しですよ。
──常に命の危険と隣り合わせの仕事ですね。
<角谷>
ええ。それで2年ほどかけて、地上から海の下まで斜めに掘り進んでいく「斜坑」を掘り終わると、今度は津軽海峡の下を本州側に向かって真っすぐ水平に掘り進んでいく「水平坑」の掘削に入りました。
その時から、スイス製の掘削機が導入されたんですね。
それが掘るどころか、掘削機だと岩盤が軟らかいところでは岩盤が崩れ落ちてきて怪我人が続出しました。
何度か日本のメーカーによって改良が加えられたのですが、それでも地盤が軟らかいところでは、地面に掘削機が沈んでしまうんです。結局、3台くらいはパーになったでしょうか。
専門家からすれば、掘削機を使えば7年ほどで掘ってしまえるというのですが、実際の海の底はそんな甘い環境じゃなかった。
──トンネル内での作業はどのような環境なのでしょうか。
<角谷>
あぁ、環境は酷いというもんじゃない。湿度は90%くらいで、気温は35度くらい。35度はまだよいほうで、40度近くになってくると、暑くて立ったまま動けなくなります。
汗はだらだら流れ、長靴の中からはジャブジャブ汗水が出てくる。だからといって休めないし、だからといって動けない、立ったままです。
それで、坑内は外と違って空気が独特なんですよ。蒸してね、トンネルの中の様々な粉塵やらが入り交じった臭い。だんだん掘削が進んでいくと、今度は気圧変化で耳がキーンとなってきます。
まずは塩、梅干し。それから錠剤の疲労回復剤。やはり人間はそういうものを舐めたり、齧ったりすれば気休めになってね、いくらかでも体が動くようになってくる。まぁ、午前中だけで音を上げる作業員もたくさんいましたね。
当初国鉄のトンネルマンたちが各作業班の指揮者を務めていたのですが、その多くが塵肺になったりして働き続けることができなくなりました。そういう事情もあって、私は4年目くらいに意外と早く作業班の指揮者になることができたんですよ。
──まさに極限状況です。角谷さんはよく耐えられましたね。
<角谷>
私だけではなくて皆それぞれ偉かったですよ。ただ、体力というより、忍耐力の差です。
私は船で厳しい体験をしていましたので、「これくらいでへばっていてどうする」という調子でね、忍耐力が体を支えてくれました。
そういう部分を役所の方も買ってくれたのだと思います。「角谷君をリーダーにして引っ張ってもらわないと掘削が進まないじゃないか」と。
特に水平坑の掘削では、海水があちこちからドーッと出てきて赤い土砂が流れ込んでくる。その水の恐怖に耐えられる人でないとだめなんですね。
私はトンネルを掘っていくのは〝自然との闘い〟だと言ってきました。自然も生きていて、人間が黙っていれば、自然もまた黙っている。でも私たちが地面を掘っていくと自然も負けずに押し返してくる、水が出てくるんです。
──自然との闘いですか。
<角谷>
ええ。私たちはトンネルを〝山〟と呼ぶのですが、山が怒り出したら山鳴りがする。気持ちの悪い独特な音がするんですよ。
──詳しくお教えください。
<角谷>
水平坑では海の下を掘り進むので、水圧に圧され、トンネルが金盥を叩いたようなバリバリバリッという音を立てることがあるんです。それがトンネルの奥の方から聞こえてくる。
すると私たちは「山鳴りだ。来るぞ!」と、緊急用の丸太でトンネルが崩れないように周囲を支えます。それでも第2、第3の山鳴りが聞こえてくると、丸太なんかマッチ棒を折るより簡単なものです。
もう逃げるしかありません。そして、状況が落ち着いたらまた掘り始める。
その自然との〝命懸け〟の闘いを繰り返しながら、少しずつ少しずつ掘り進んでいくんですね。
(本記事は月刊『致知』2016年11月号 特集「闘魂」から抜粋・編集したものです)
~本記事の内容~
◆夢にまで見た北海道新幹線開業
◆漁師からトンネルマンに
◆想像を絶する苛酷な作業
◆大切な仲間との別れ
◆命懸けで闘うからこそ物事は貫ける
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◇角谷敏雄(かどや・としお)
昭和10年北海道生まれ。40年日本鉄道建設公団に就職し、青函トンネルのトンネルマンとして地質等を調べる「先進導坑」の掘削に携わる。62年の青函トンネル完成後は、各地のトンネルで勤務。現在は出身地の福島町にある青函トンネル記念館でボランティアガイドを務める。
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