2024年11月25日
~本記事は月刊『致知』2024年11月号掲載記事を一部編集したものです~
75年の歴史を紡いだ創業者の信条
ものづくりの町として知られる新潟県長岡市の地で、機械工具の専門商社を営み続けて75年の節目を迎えました。
従業員数53名、年商約30億円、主要取り扱いメーカーはサンドビックや京セラをはじめ国内外約100社を数えます。
世界各地から集めた最新高品質の切削工具や測定機器などの商品を、自動車・航空機・精密機器といったものづくりを手掛けるお客様に提供し、工業界の発展に寄与してきました。
創業は昭和24年、私の祖父・淵本正作が中国から引き揚げ、鹿児島にある本家で数年の修業を経て当社を設立しました。32歳の時です。戦後の復興から高度経済成長に差し掛かる時期に、リュックサックに工具を詰め込み、己の身一つで毎日朝から晩まで行商しながら、一軒ずつお客様を開拓していったといいます。祖父は実直そのもので仕事に厳しく、地味で堅実なこの商売が性に合っていたのでしょう。
お客様のためになるか――これが祖父の信条でした。当社は現在売り上げの6割が切削工具なのですが、数多ある機械工具の中で切削工具に特化したのは創業当初からです。切削工具は消耗品で、単価にして一ケース数千円から数万円と、決して高額な商品ではありません。
しかし、脇目も振らずに切削工具の専門知識を積み上げ、ただ右から左に商品を流して売るのではなく、お客様の加工特性に応じて商品及びその技術も供給する、いわゆる提案型営業に徹したことで多くの引き合いを得られるようになったのです。この地道な積み重ねが75年の歴史を紡いだ原点に他なりません。
〝専門化〟から〝総合化〟、そして〝複合化〟へ
祖父の後を受けた父・正剛は市場をさらに拡大し、それまで多かった中小規模の工具メーカーに加えて大手の工具メーカーの商品を幅広く取り揃えていきました。要するに、創業者は切削工具に絞り込む〝専門化〟を断行し、2代目はその切削工具の種類を増やす〝総合化〟を担うことで、お客様の様々なニーズに真摯に向き合い、応えていったわけです。
その父が突然病に倒れ、急逝したのは平成21年、私が28歳の時でした。当時私は主要仕入先の切削工具メーカーに勤めており、社長就任の要請を受けましたが、とても重責を担う覚悟はありませんでした。しかし、密葬を終えて部屋を出て、社員が横一列に整然と並んで待っている光景を目にした瞬間、会社の歴史や背負うべき社員とその家族の姿が心に浮かび、「絶対にやり抜く」と決断したのです。
とはいえ、リーマン・ショックの真っ只中で売上高は半減し、その後も時代の変化が激しく、とにかく無我夢中で駆け抜けた15年間でした。前職時代の経験を基に、切削工具を活かす機械や設備も含めてパッケージにして提案し、商品価値を掛け算で高める〝複合化〟に注力。時間はかかりましたが、何とか軌道に乗せることができました。海外進出やDXなどの改革を進める一方、不易の人間学を求めて四年前から全社員に『致知』を配布し、木鶏会を取り入れています。
「ONE SPIRIT」で拠点や部署や年代を超えて一体となり、どんな逆境も乗り越えられる強い組織を築き、お客様に感動や希望を届けていく所存です。
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