知られざる西郷寅太郎の生涯


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致知出版社の「人間力メルマガ」 2016.9.24


西郷隆盛の嫡男・西郷寅太郎。
その生涯はほとんど語られていません。

維新の立役者として人々から
尊敬を集め、後の西南戦争で
国賊の汚名を着せられた西郷隆盛。

その息子・寅太郎はいかにして、
人生の荒波を乗り越えたのでしょうか。

────────[今日の注目の人]───

☆ 知られざる西郷寅太郎の生涯 ☆

佐野 幸夫(拓殖大学元専務理事)

※『致知』2016年10月号
※連載「致知随想」P89

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寅太郎は慶応2(1866)年、
西郷隆盛と妻・糸子の
長男として生まれる。

後に次男の午二郎、
三男酉三も誕生するが、
父子の今生の別れは早くに訪れた。

西南戦争の勃発である。


明治10(1877)年2月24日、
西郷隆盛は鹿児島士族を
率いて鹿児島を後にする。

支度に手間取って見送りに
間に合わなかった西郷家では、
せめて子供たちだけでも、
と下男二人とともに一行を追わせた。

跡を追いかけてきた
子供たちを迎えた西郷隆盛は
一人ひとりの頭を撫でると、
踵を返して先を急ごうとする。


ところが寅太郎は
父親の側から離れようとしない。

「もう帰れ」という言葉にも
耳を貸さない寅太郎だったが、
下男に無理やり引き止められて
ようやく立ち止まった。

寅太郎、11歳の日の出来事だった。


城山で最期を遂げた西郷隆盛は
国賊として扱われ、
一家の大黒柱を失った家族は
その後苦しい生活を
強いられることになった。

新政府による仕打ちに
強い憤りを感じたのは、糸子だった。

国家のために尽くした夫を
同郷出身の将兵に討たせるなど、
何と心ないやり方であろうと
恨み言を述べることも
しばしばだったという。

生来負けん気が強い寅太郎もまた、
母と同様に新政府を憎んでいた。


一方、寅太郎の行く末を
最も案じていたのが
西郷隆盛の弟・従道と
従弟の大山巖だった。

また、同じく遺族に思いを寄せる
薩摩出身の政府要人も多く、
彼らの働き掛けによって、
寅太郎ドイツ留学の内示が下ったのは
明治17(1884)年のことだった。


ところが……




※寅太郎の運命を大きく変えた
 ドイツ留学の顛末とは。
 寅太郎の歩んだ道とともに
 続きは本誌でお楽しみください。
 

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