敵に包囲された。その時孔子は……

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致知出版社の「人間力メルマガ」 2016.7.19


孔子は、その73年の生涯の中で、
時に命の危険にさらされることも
ありました。

2,500年前の戦国時代のことですから、
そういうことも覚悟で
孔子は旅を続けるのです。

では、その時、孔子は
どのような態度で事に対したのでしょうか。


────────[今日の注目の人]───

安岡定子(こども論語塾講師)

※『致知』2016年8月号【最新号】
※連載「親子で読む孔子の人生」P112

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孔子の四十代、五十代と聞いて

「四十にして惑わず」

「五十にして天命を知る」

という『論語』の有名な章句を
思い浮かべる人も
多いのではないでしょうか。

実際、四十代の頃の孔子は
教育者としての活動はもちろん、
政治家に道を説くという
社会的キャリアも積み重ねていました。

仕官のチャンスを待ちながらも、
なかなかオファーは来ませんでしたが、
決して腐ったりせずに学問に励み、
弟子たちを育て続けるのです。


仕官の夢が実現するのは、
五十一歳の時。
魯の国の君主から
地方行政長官に任命されます。

さらに五十五歳で法務大臣になりますが、
理想の政治を目指して活動するほど
反対勢力の抵抗も強く、
とうとう失脚してしまうのです。
 
孔子はその後、
仕官の口を求めて
実に十四年間にわたる
放浪の旅を続けます。

四、五十代の孔子は
このような様々な苦労を経ながら、
人間的実力や自信を
つけていったようです。
 

これは五十代後半、
諸国を放浪していた頃とされていますが、
孔子が旅の途中に匡という場所に立ち寄り、
そこで恐ろしい目に遭ったという話が
『論語』に記されています。

敵に取り囲まれて命の危険に晒される、
という経験をしたようです。
 
窮地に陥った時、普通の人であれば


「これで一巻の終わりだ」

「どうやって逃げようか」


と絶望感や焦燥感に駆られるものです。
しかし、孔子の次の言葉からは……



※『論語』と聞いて、
 難しい格言などが並ぶ書物と思う方が
 いらっしゃるかもしれません。

 しかし、そこには孔子を取り巻く
 様々な人間ドラマが展開し、
 孔子の喜怒哀楽が表現されています。

 安岡さんの連載では、
 そういう孔子の人生像に迫ります。 

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