2017年11月28日
心臓外科医として海外で腕を磨き、 
その症例数は優に2万を超えるという南和友さん。 
それだけの実績を持ってしても、 
いつも心に抱いていた葛藤とは。 
 
 
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佐野 俊二 
(カリオルニア大学サンフランシスコ校外科学教授) 
   × 
南 和友 
(ドイツ ボッフム大学 永代教授) 
    
※『致知』2017年12月号【最新号】 
※特集「遊」P56 
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【南】 
でも、私がラッキーだったのは、新しい施設に行けたことでしたね。 
 
当初は外科医も少なくて、手術ができるのは 
ケルファー教授と僕の2人だけで、 
しかも管轄の州当局は年に1,000例はやってほしいと言う。 
 
初めは自分が戦力になるとは思っていませんでしたが、 
一年も経たないうちにプライベートの患者がどんどん集まってきました。 
 
そうなるとケルファー教授だけでは手が回らないから、 
私にも回ってくるようになって、 
3年目には2,000例くらいやれるようになっていましたね。 
 
 
さらに5年目には外科医も増えて、年に6,000例までいきましてね。 
 
世界のトップを走っていたテキサスの 
心臓センターがやっていたのが5,000例でしたので、 
それを追い越しちゃったんですよ。 
 
【佐野】 
それはすごいですね。 
  
【南】 
ただ、そうやって向こうにいる間に20,000例を超える手術をしてきましたけど、 
いまから考えると中にはうまくいかなった症例というのもありましたね。 
 
私の経験だと500例くらい手術してくると、自信がついてきて、 
「次に何が来てもやりますよ」って感じになる。 
 
でもそんな気持ちでいると、手術後に亡くなる患者が出てくるんです。 
 
そういう事態に直面すると、あの時私が手術しなければ、 
その患者はひょっとしたら明日、明後日まで 
生きていたかも分からないという思いに駆られるようになるんですね。 
 
この辺りが、我われ心臓外科医の宿命と言えるかもしれません。 
 
例えば、自分が当直している時に重篤な急患が入ってくるとします。 
 
これは少し自分の手には負えないかもしれないと感じても、 
自分が手をつけなければいけない。 
 
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そこにはこの患者を何とか助けたいという思いが先立つわけですが、 
結果的に亡くなってしまった時には心が折れますよね。 
 
ひょっとしたら、もっとうまい人が来て 
手術をすれば助かったかもしれない。 
 
でも、だからといっていつも逃げていたら、 
自分の技術は上達していきません。 
 
そういう意味では我われの仕事というのは、非常に厳しいもので、 
私もまた心の中で葛藤しながら闘ってきたと言っていいかもしれません。 
 
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