元島民が語る北方領土の歴史

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致知出版社の「人間力メルマガ」 2016.7.13

我が国固有の領土、北方領土。

それがいかにして、ソ連によって
不況占拠の道を辿ったのか。

「北方領土の語り部」高岡さんが、
その顛末をご体験を交えて語ります。

────────[今日の注目の人]───

★ 我が故郷、多楽島の日々 ★

高岡 唯一(北方領土元島民)

※『致知』2016年8月号【最新号】
※特集「思いを伝承する」P34

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私は昭和20年の敗戦を回想する時、
いつも『故郷』という叙情歌を歌います。

「兎追ひし
 彼の山
 小鮒釣りし
 彼の川
 夢は今も巡りて
 忘れ難き
 故郷……」

そうすると、終戦後に
旧ソ連に不法占拠され、
いまなお自由に立ち入る
ことができない我が故郷、
歯舞群島・多楽島での
楽しかった日々が、
昨日のことのように鮮やかに
目の前に蘇ってくるのです。

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歯舞群島は五つの島からなっており、
その一つが多楽島で、
面積は約10平方キロメートル。

昭和20年当時には230戸、
1,400人の島民が生活していました。

髙岡家はその多楽島で
代々昆布の採集生産業を営んでいて、
当時10歳だった私も
物心ついた頃から毎日のように
両親の手伝いをしていました。

私の主な仕事は、
父が採ってきた昆布や
波打ち際に上がった昆布を
浜から馬車に積み込み、
干し場まで運ぶこと。

そして、製品にならない雑昆布を
畝にして焼く間の番をすることでした。

焼けて灰になった昆布を
袋詰めにして工場に持ち込みますと、
ヨードとカリに分類されます。

ヨードは医薬品原料、
カリは火薬源になるそうで、
私は子供ではありましたが
お国のために仕事をしていたのです。

仕事を終えると、
草原の中で乗馬して駆け出し、
振り落とされても
怪我をせず戯れたり、
海に行って石を蹴ったりして
楽しく遊びました。

多楽島での日々は、
まさに『故郷』の歌そのままでした。

しかし、そのような日々も
長くは続きませんでした……

※ソ連軍による北方領土の不法占拠に
際して、いまなお脳裏に焼きつく
高岡さんの人生で一番の屈辱とは──。
北方領土の生き証人、高岡さんの
貴重な体験談の続きは本誌で。

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