会社で~社内木鶏会のご紹介~ 社内木鶏会で、我が社はこう変わった

社長 秋山秀行

企業プロフィール

株式会社大町(日本一のだがし売り場)
社長 秋山秀行 様

社名/株式会社大町
事業内容/食品の企画、卸、駄菓子(レトロなおもちゃも含む)の直売
創業/1952年
所在地/岡山県瀬戸内市長船町東須恵1373ー5
社員数/30名

資本主義から「志本主義」へ

私は、明治30年の創業から数えて5代目、菓子卸問屋(昭和27年設立)では3代目として、昭和33年に岡山市で産声をあげました。 同志社大学を卒業後、京都大丸で4年間働き、(株)大町へ入社。致知の購読は32歳のときに始めました。
それから10年ほど経ち、会社はそれまでの売上至上主義から利益重視の体質に変化してゆきました。しかし安心した途端、まさかの坂の出来事が度重なります。何度も経営危機に陥り2003年(45歳)にやっと本気で「人間学」に向き合い、社内木鶏を開始しました。最初は社長主導で自由参加形式であったことから、回を重ねるごとに参加者は減り、ついにはたった一人だけになってしまいました。
そこで藤尾社長よりアドバイスをいただき、2008年より正社員全員、義務参加に変更して再出発。社員さんとともに人間的成長が高角度に進みました。ところが、成長する社員さんとパートさんたちの間に成長の壁ができてしまい、一体感のない状態となりました。再度藤尾社長にご相談・アドバイスを頂戴し、開始時刻を18時から15時に変更しパートさんも含めて全員義務出席としての再再出発となりました。
人間学に対する意識が高まり、一体感のある社風になりつつありましたが、致知一冊をすべて読み3項目の感想文を書くスタイルであったため、パートさんの中には負担に感じる人も出てきました。元気のよい新入パートさんの不満が発端になり、ついに“社内木鶏ボイコット運動”が起きてしまいました。そこで、感想文を2項目に減らし、「社内木鶏は絶対に継続する」方針を伝え、それが嫌な人は退職して頂きたい、と全社員に伝えました。それによって当社の社員教育への覚悟を全員で確認することができ、再再再出発をして今に至ります。
また、2012年からは「社長塾二部」と題した勉強会を追加しました。社員さん一人一人が自己を知り人間的成長をするために“心情”から“信条”を創ってゆく場です。毎月1人の社員さんと幹部・同僚たちとで社内木鶏をさらに深めています。ここでは、家族にも言えない悩みや過去の清算等、心の浄化作用が生まれ、社員というより家族の一員のような社風になってきています。

 

天からの一通の封書

4度の会社危機がありましたが、後継者にも恵まれ、これからは与えられた天命に従うことにしました。
それは、戦後最後の教育者といわれる森信三先生の「すべての人間には、天から一通の封書をもらっている。そこには、どう生きたらいいか書いてある。しかしながら、ほとんどの人はその封書を開けることなく人生を終えている」というものですが、東日本大震災をきっかけに私は封書を開けることができました。
これまで先祖の為、会社・社員の為と一所懸命に、競争社会の中でいかに“勝者”になるか、もがき苦しみました。少し上手くゆけば今度は「自分のやっていることは正しい」と善悪の世界に染まりました。どちらの価値観も“相対”の世界であり、「~ねばならない」の堅苦しい世界です。そこは子どもの頃の楽しく面白い、ワクワクする世界には程遠いものです。作られた自分から本来の自分に戻ること。損得の世界→善悪の世界→楽しいか、楽しくないかの世界に進化すること。封書の内容は“価値観の逆転”でした。

菓子卸問屋から日本一の感動が生まれる会社へ

先代から菓子問屋を継承し、競争にはとことん敗れてきました。問屋は自らで作ることも直接消費者に売ることもできません。事業はわずかな口銭稼ぎとしか考えられませんでした。効率を追い求め、数字の奴隷となって、度重なる経営危機の中で馬車馬のように働いていましたが、そんな毎日についに嫌気がさしました。当時50歳。事業を縮小し何とか黒字になる程度で、もう余生を自分の好きなこと…子どもと遊ぶこと…に大切な時間を。楽しもう!と。
今まで散々失敗してきた社長に協力する程のお人好しはいません。仕方なくパートさんと2人だけで古びた倉庫で“お菓子の直売店”を始め、近所の子ども達と遊んだのが事の始まりです。現在は「日本一のだがし売場」に改称し、年間60万人以上のお客様がお越しになられます。社員の皆さんは、子ども達を感動させる為にアイデアを出し合い、ご褒美として“笑顔”という癒しをもらいます。結果として、損得や善悪で経営をしていた頃より多い利益も戴いていますが、利益はより多くの子ども達を笑顔にするための手段の一つに過ぎません。“子どもの笑顔”がど真ん中。子どもをとことん感動させる為に考え、行動する。私たちの合言葉は“感動を生み出す非効率の追及”です。効率や合理性は子どもに通用しません。また、人のまねをしても感動しません。目指すは、日本一・世界一のオンリーワンです。

ビジネスモデルから社会モデルへ

2014年、親友に誘われてフランスでの日本文化イベントに参加して“だがし”を貰えるゲームを行うと、現地の子どもたちに大盛況。“日本のだがし”が世界の奇跡であることに気付き、帰国してすぐに全国のだがし製造メーカーさんと共に「DAGASHIで世界を笑顔にする会」を設立しました。
会ではだがしを“日本のお菓子の原点”と定義。そして菓祖(菓子の神様)を祀る橘本神社(和歌山県)の前山宮司の提唱により、菓祖の命日である3月12日を「だがしの日」として記念日登録しました。
この日のキャッチフレーズは「だがしと笑顔の交換日」。各地でイベントを展開し、今年で8年目になります。3月12日は、東日本大震災の翌日、復興のシンボルの日であることから、災害に遭った子ども達を笑顔にすることを一番に考えました。そこから、困難を抱える子ども達に笑顔を届ける活動が始まり、ひとり親家庭や児童養護施設、医療従事者や保健所職員の子ども達、そして重い病気のため余命わずかな“こどもホスピス”の皆さんへの支援も続けています。
ビジネスモデルは、一言でいえば儲け方のアイデア。これからの時代は、その儲けたお金をどう生かすか、という社会モデルが大事なのです。ビジネスモデルだけでは片手落ちです。私たちは、子どもの笑顔で戴いたお金を、子どもの笑顔の為にお返しするという“善循環”を目指しています。

「だがしおじさん」が日本のだがしで世界を救う

チンドン屋風の“だがしおじさん”に扮して子ども達を喜ばせるのが、今の私の仕事。そして私の使命は、子ども達の笑顔を通じて「3月12日だがしの日」を全国・世界中に発信し、世界平和のイベントにすることです。第3回のイベントでは、ローマ法王様より応援メッセージを賜りました。戦争をしている国々の兵士たちが、武器を“だがし“に持ち替えて敵国の子ども達と笑顔を交換しあう・・・ 近い将来、そんな一日を実現したいと決意しています。
競争よりも共存、仕事よりも遊び、頭よりも心と体・・・子どもの笑顔を通じて関わる皆さんが楽しく、面白く、ワクワクする世界が一番良いと思っています。


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