『致知 』特別企画!社員が語る「致知と私」vol.15

社員の日常

『致知』特別企画 ≪社員が語る「致知と私」Vol.15≫

社員に致知出版社への入社のいきさつ、『致知』への想いを語ってもらう新企画、《社員が語る「致知と私」》。

本日は、致知営業部の先輩である
松澤広幸の「致知と私」をご紹介させていただきます。

「人を動かすのは真心である」を信念に
お客様にはもちろん、社内でも真心全開の松澤。
社内木鶏会を日本全国の企業様に提案すべく日々邁進中です!

人間学や社内木鶏会について日累月積で熱心に勉強をする
努力家で、日ごろから後輩の指導も手厚く良き方向に
導かれる偉大な先輩社員の一面もあります。

松澤がどのようにして『致知』に出逢い、
現在に至るのか。
ぜひ、お読みくださいませ!

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初めて『致知』に触れたのは、2011年5月、29歳の時、取引先の社長から誘われて参加した木鶏会でした。『致知』や「木鶏会」の存在を知らなかった私は「難しそう勉強会だな」と不安な気持ちで開始を待ちました。ところが、冒頭の致知出版社の平峰部長(当時)のプレゼンに瞬時に魅了され、中でも「木鶏」のエピソードには、雷に打たれたような感動を覚えました。「私も木鶏のように動じない心を持ち、周囲を感化できる人になりたい」そう心に期し、その場で『致知』の購読を決めました。

私は人の目を気にして、自分の弱さを隠したり、誤魔化したりする癖がありました。きっかけは中学時代に遡ります。野球部に所属し監督とメンバーに恵まれ全国大会に出場し決勝戦まで勝ち進みました。捕手として出場していた私は、何てことのないキャッチャーゴロを悪送球し失点に繋がりました。それから投げることに怖さを覚え、徐々に思ったところに投げられなくなりました。高校、大学でも野球をするも、日本一になったプライドだけは立派で、ミスをする度に言い訳を繰り返しました。

社会人なってからも、自分を良く見せようと、大した実力もないのに見栄を張り、叱られても素直になれませんでした。それゆえ、上司や同僚と衝突し、会社に行くのが辛い日々もありました。仕事を覚え成果が出るようになると、今度は「すべて自分の実力」と言わんばかりに感謝の気持ちを欠いていました。そんな私に周りは喜んで協力することもなく、成果が出ても幸せは長続きしませんでした。このように私は自分中心の考え方をしてきたことで、人間関係で苦労をしてきました。

致知出版社に入社したのは32歳の時でした。「徳で日本を変える」と覚悟して入社したものの「人間関係で躓きたくない」という心配がありました。しかし、入社後の社内木鶏会でその心配は杞憂に終わりました。仲間の感想文には、若手からベテラン社員まで、過去の経験や、自身の不完全さを吐露し、向上したいという決意に溢れ、中には涙を流す社員もいました。前職時代にはなかった弱さを見せ合える風土に大きな衝撃を受けました。私自身の感想文と言えば、体のいい言葉を羅列したもので、大変恥ずかしい思いをしました。それ以降、感想文は「ありのままの自分を表現しよう」と努め、驚くほど速く仲間と親密な関係になることができました。現在も自分らしく志を持って働かせていただいています。

「人生をひらくとは心をひらくことである」藤尾社長から教えていただいた言葉です。まさに私の人生のテーマであり、社内木鶏を象徴する言葉のように思います。

入社して6年半、憧れの「木鶏」には道半ばですが、これからも『致知』に学び、感謝報恩の心で、縁ある人の幸せに貢献できるよう精進いたします。そして、私を変えてくれた『致知』と「社内木鶏会」の普及を使命とし、生涯をかけて人間学を探求していく所存です。

 

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