『致知』に寄せられたお客様の声

『致知』を読んでのうれしいお便りがたくさん届いています。 ご感想の一部を紹介いたします。

  • 『致知』は〝志〟の月刊誌

    愛知県在住 日本コーチカウンセラー連盟会長 津田紘彰さん(43歳)

       忘れもしない、2006年の出来事でした。大学在学中にプロのミュージシャンを志し、卒業後は全国を回ってライブ活動を続けること5年半。念願叶ってメジャーデビューを果たしたその2か月後、実家の父が突然病に倒れ、音楽を諦めざるを得なくなったのです。
     地元名古屋で、もう一回生き直そう。夢も仲間も関東に残し、金髪長髪だった頭を丸め、老人ホームの社員になりました。そんな中、ありがたいことに素敵な女性と出逢い、お付き合いを始め、結婚する幸せな未来を描いていました。
     ところがその彼女が翌年、この世を去ってしまったのです……。私が29歳の時でした。
    「起こることすべて、力に変えて生きていけ!」。バンドでこう熱く歌っていた私は後悔と自責の念に苛まれるばかりでした。一時は自殺も考えましたが、その時、私の傍らにあったのが『致知』でした。彼女を失う2か月ほど前、母方の叔父から「こんな雑誌があるぞ」と勧められていたのです。
     

    叔父は片田舎で予約の絶えないカウンセラーとして活動しながら、「世のため人のため」という志やまず、ほぼ無償で様々な人の悩みに耳を傾けている人でした。このように尊敬する叔父のおかげで出逢えた『致知』を付箋だらけにして読む中で、ある時ふと悟りました。
    「起こる出来事に予め意味があるんじゃない。起こった出来事に、自分自身がどんな意味を見つけて生きていくかが大事なんだ」
     残された自分の命の意味。それはバンドを組むずっと前から抱いていた熱い思い──叔父のように、誰かの幸せのために〝志〟を持って生きることだと気づきました。
     私を特に強く鼓舞してくれたのは故・村上和雄先生が表紙になった2009年6月号特集「人間における『ユーモア』の研究」でした。「どんなに辛くてもユーモアを失ってはいけない」。先生方が笑いを交えて語られるのを、目頭を熱くして読み耽りました。
     

    折しもこの号が届いた頃に現在の妻と出逢い、結婚。2011年の東日本大震災の後に会社を辞め、被災地でメンタルのサポートに携わったのを機にプロコーチの資格を取得しました。以後アルバイトで食い繋いでいた時期は年収150万円を下回り、途方に暮れたこともありましたが、『致知』と致知出版社の書籍を心の支えに這い上がることができました。
     現在は一般社団法人日本コーチカウンセラー連盟会長を務める傍ら、YouTubeの配信なども行っています。先日も命の意味について語った動画を公開したところ、「自殺を考えていた息子が思い止まってくれました」というありがたいコメントをいただきました。
     

    この地球上にたった一人しかいないあなたという人間には、あなたにしか果たし得ない役割があり、それを全うする人生は絶対に幸せなはず。そんな〝志〟を貫く生き方を教えてくれるのが『致知』という雑誌であり、いまの世の中に最も大切な本だと思っています。

    『致知』は人生の一歩先を照らしてくれる相談相手

    山梨県在住 ハーブインストラクター 上田睦美さん(57歳)

     いまでも『致知』を手に取ると、かつての自分の姿が脳裏に浮かび、胸がいっぱいになります。
     私は山梨県の南アルプス市に生まれ育ち、結婚して神奈川県へ移住。しかし、老いた両親の介護のために2人の幼子を伴い、再びこの故郷で生活を始めました。1997年、32歳の時のことです
     介護と子育てに加えて、両親に代わり先祖伝来の田畑で農作業に汗を流し、さらには生計のために会社勤めも始めたため、毎日が目の回るような忙しさでした。
     そうした中、スキルアップのために通い始めたコミュニケーション教室で、教材の一つとして使われていたのが致知出版社の本でした。私はその内容がとても印象に残り、すぐに同封されていた葉書で『致知』を申し込んだのです。
     

    届いた『致知』を読み始めると、胸が熱くなり、涙が溢れてきました。そこには悩める私の求めていた答えが、見事に解き明かされていたのです。気がつけば、感動した箇所に引いた蛍光ペンの線で誌面はいっぱいになっていました。
     当時はこなしきれないほど仕事を抱え、介護や子育ての悩みに心が押し潰されそうでした。誰かにこの気持ちを受け止めてほしい。そう思うものの、悩みを打ち明けられる時間もありませんでした。
     そんな私の相談相手になってくれたのが『致知』でした。『致知』を読むと、大変なのは決して自分だけではないこと、お一人お一人が努力を重ね、その方なりの方法で困難を乗り越えてこられたことが実感できました。私にもきっと自分なりの乗り越え方があるはず。たとえいまは辛くとも、信念さえあれば、きっといつか自分らしく生きていける時がくる──そんな希望と勇気を与えてくれたのが、『致知』だったのです。


     特に心に響いたのが、「念ずれば花ひらく」の言葉で有名な坂村真民先生の記事でした。コミュニケーション教室にその書を記した陶器の置物が飾られていたこともあって興味が募り、自分でも真民先生の本を買い求め、『致知』と一緒に何度も読み返しました。
     

    私にとり、『致知』は人生の一歩先を明るく照らしてくれる指導者であり、友人であり、かけがえのない相談相手です。『致知』に出逢っていなければ、決して今日の私はなかったでしょう。


     両親を看取り、二人の我が子も無事独立。毎週末には主人が農作業をしてくれるおかげで、ようやく自分の時間を手にできるようになったいま、私は念願だったハーブインストラクターとして独立を果たし、自分の教室を営んでいます。これからは、本当に自分らしい人生を歩んでいきたい。そのためにも私は、かけがえのない相談相手である『致知』に学び続けてまいります。

    『致知』は私の生きる羅針盤

    東京都在住 プロティアン・キャリア協会代表理事 有山徹さん(44歳)

    『致知』と出合ったのは2004年のことでした。それまで私は、新卒で入社した会社を3か月で辞め、コンサルティング会社へ転職。そこでも成果が出せず、クビ同然で退職することになったのです。27歳の時でした。

    「男は仕事ができてなんぼだ」

     父親がよく口にしていたこの言葉が心に重くのしかかり、この歳でクビになった自分はもう生きていけない、死んだほうがマシじゃないのか、と思い悩みました。けれども、親より先に死ぬのは申し訳ない。一度死んだと思えば何でもできる。そう考えて踏み止まり、何か救いになるような本はないかと調べ始めました。そして辿り着いたのが『致知』でした。「人間学を学ぶ」。この文言が頭に引っ掛かり、ここに何か、いまの私の生きるためのヒントがあると直感したのです。『致知』を捲って思ったのは、世間で一流と呼ばれる方も皆さん自分の数倍も苦労されていること。若かった私は「自分の悩みなんて小さいな……」と感じ、前を向く力をもらいました。

        さらに、よく取り上げられる住職の話から禅の世界にも興味を引かれました。もともと宗教的なものは受けつけない性格でしたが、記事を読むとそうではなく、禅を「生き方」として見れば、学べることがたくさんあると気づかされたのです。『致知』がきっかけで禅や内観などの本を読み漁り、写経や坐禅にも取り組みました。
     そんな中、覚悟を決めて再就職し、必死に仕事をすると徐々に成果が上がっていきました。自分のサイクルが掴めた、そう感じて購読を一度中断。以後、事業会社の経営企画職を転々としていた私が『致知』を再び求めたのは、40代に入ってから転職で2回挫折し、起業した2019年頃でした。経営者となり、会社が自分の器で決まってしまう、人間力が必要だと痛感する瞬間が度々ありました。その時、ふとなぜか『致知』を思い出し、10年ぶりに42歳で購読を再開。すると昔は「そうなんだ」で止まっていた感想が、経験値を積んだことで「そうだよな」に変わっている。腹落ちする内容が多くなっていました。

     しかし、縁は不思議なものです。『致知』と再会してまた禅に触れ、心を落ち着かせるようになった頃、父の命日に法政大学キャリアデザイン学部の田中研之輔教授と出逢いました。自分の軸を持ち、社会変化に適応しながらキャリア形成するプロティアン理論を知り、深く共感。その半年後の2020年3月には「プロティアン・キャリア協会」を設立し、いまはとても充実した毎日を過ごさせていただいています。自分がキャリアに悩んできたからこそ共感するプロティアン・キャリアを普及させようと、日々努力しています。辛くなった時は『致知』と「プロティアン」の考え方に立ち戻り、「挑戦しないことがリスクだ」「明けない夜はない。だからがんばろう」と、また歩き出すパワーをもらっています。

    『致知』は現代を生きる全ての人に光を灯してくれる月刊誌

    京都府在住 追手門学院大学 社会学部教授 上田滋夢様(55歳)

     今から20年以上前、Jクラブを支援して頂いていた経営者の方々が、『致知』を読んでいるのをよく目にしていました。当時からなんとなく気にはなっていましたが、プロスポーツの現場を離れて数年が経ち、大学教授になってから、信頼する友人に『致知』を勧められて読んでみることにしました。『致知』を読むと、掲載されている皆さまの人生への向かい方が真剣・誠実だからこそ、「生きている言葉」が誌面を通じて伝わってきます。ひと呼吸おき、噛みしめながら、一つひとつの記事を読むため、『致知』を一冊読むのにひと月かかってしまうこともあります。そんな『致知』と対峙した後は、心地の良い疲労感を覚えます。また、自分のこれまでの人生と重ね合わせ、『致知』の内容に共感を得ながらも、皆様の「お志、ご決断、ご実行、惜しみなく語られるご器量」に、ただただ、晩学の徒となるばかりです。世の中には読みやすい書物が多くなっていますが、それだけですと、表層だけを捉えるようになり、ものごとの本質を見失ってしまうのではないかと危惧しています。

     私の研究室には、何気なく『致知』を置いています。時折、表紙のお顔が変わり、ご出張中の方が見られます。学生にも響いている様子が分かります。世代や年齢に関係なく、『致知』の言葉が糧になり、光となるのだろうと思います。『致知』は、現代を生きる全ての人に光を灯してくれる月刊誌だと思っております。
    これから読もうとしている方は、すべてを読まなくても、気になるトピックスを毎月一つずつ落ち着いて読み、読後、一分でいいので言葉の意味を噛み締めてみてください。『致知』に学ぶ「人生の意味」がわかってくると思います。

    いかに生きるべきか、我われを導いてくれる道標

    栃木県在住 ミレット・スタイル代表 人見惠子様(59歳)

        私が『致知』と出逢ったのは三十年前。宇都宮木鶏クラブ代表世話人の五十嵐薫社長より、年間購読のプレゼントをいただいたことがきっかけでした。 

     当時の私には馴染みの薄い堅苦しい文面ばかりで、読むのに一苦労でしたが、乾いたスポンジが水を吸収するが如く、多くの珠玉の言葉が六十兆の細胞にドンドン入ってきました。
     二十年前の対談の中で、いまでも強烈に残っている件があります。
     ある小説家の先生が新聞記者時代にインドへ渡り、優秀なヨガの先生はいないか訪ね歩いたそうです。しかし、返ってくる答えはすべて「優れた先生に出逢えるのも、そうでない先生に出逢うのも、それはあんたの運命次第だ」と。

    これは我われの身近なところでも起きていることだと思いました。お互いを高め合うよき友、よい書物やよい環境に見合う自分に成長し続けていくために、『致知』を人生の指針とし、心の拠り所として、読み進めてまいりたいと改めて思っています。自分を取り巻く環境をよりよくするためにも『致知』は必須アイテムですし、先人の智慧や言葉がギュッと詰まった人生のバイブルです。

     

      『致知』のお仲間も増え、非公式ではありますが木鶏クラブをつくり、毎月我が家で読後感想会を開催しています。『致知』愛読者との交流を深め、人間力を高めてまいります。

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