山田無文老師が説く「本当の自分」

かつて山田無文という有名な禅僧がいました。ある学生が無文老師に「自分とは何ですか」と質問します。無文老師はどのように答えられたのでしょうか。若き頃から参禅し、臨済宗円覚寺派管長となった横田南嶺老大師によるやさしい文章が沁みてきます。

山田無文老師の話を聴いて

〈横田〉
人様に自らの求道の跡を披瀝するようなものではないが、顧みると折々にすばらしい出会いに恵まれたことを感謝するばかりだ。

仏教には縁遠い家庭に生まれながら、小学生の頃に坐禅を始め、和歌山県由良町興国寺の目黒絶海老師にめぐりあうことができた。更に、中学生の終わり頃に、生涯の恩師となる松原泰道先生との出会いに恵まれた。

高校時代には、坂村真民先生と手紙を通してご縁をいただいたのだが、もう一つ忘れられない出会いがある。

高校一年の時に、ラジオを聴いていると、たまさか京都妙心寺の管長に就任されたばかりの山田無文老師のお話が放送された。「菩提心(ぼだいしん)を発しましょう」という題であった。

無文老師は、学問の志を懐いて上京し、早稲田に学ばれた。世の中を平和で争いの無いようにしたいとの願いをもって、法律を学んでおられた。

そんな折に、『論語』の一節を読んで衝撃を受けられたという。「訟えを聴くこと、吾猶お人の如し。必ずや訟え無からしめんか」。無文老師は、このように解釈をされていた。裁判官になって判決を下すことは自分にも出来る。しかし、それよりも訴えの無い、争いの起こらない世の中を作ることが自分の理想なのだと。

無文老師は、この言葉に驚いて、どうしたら争いの無い世を実現できるのか、様々な宗教に解決を求められた。キリスト教の教会にも足を運ばれた。まるで飢えた犬が餌を求めるように、少しでも真理の匂いのするところに出向いて道を学ばれた。それでも、容易に納得出来る答えは見つからない。

そして、或る日チベットで仏教を学んで帰国された河口慧海師の講話を拝聴された。河口慧海師は、チベットから伝えたお経の講義をなされていた。そこでこんな譬(たと)えを話された。「牛の皮」の譬えである。

「この地球を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足で歩いてゆける。がしかし、そんなことは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴さえはけば、世界中を牛の皮で覆ったのと同じことである。どこへでも歩いてゆけるのだ。
 それと同じように、この世界を争いの無い理想の世界にすることは、おそらく不可能であろう。しかし自分の心に菩提心を発すならば、すなわち今日から人類の為に自己のすべてを捧げることを誓うならば、世界は直ちに争いの無い世になったのと同じになるのだ」

私も、無文老師の訥々(とつとつ)とした講話を、初めのうちは自室でくつろいで聴いていたが、だんだん居住まいを正し、ついには正座して恭(うやうや)しく拝聴した。牛の皮の譬えを聴いた時には、身震いするような感動に包まれた。

本当の自分に出逢うには?

ある学生が山田無文老師に質問をしたという。

「自分とは何ですか、本当の自分とは何でしょうか」と。
 
無文老師は、とっさにこう答えられた。

「きみは今日から、
 自分のことを勘定に入れないで
 何か一所懸命人の為に
 尽くしてご覧なさい。

 とにかく一所懸命人の為に尽くして、
 そして心から良かったと
 思える自分がいたら、
 それが本当の自分ですよ」と。

菩提心に生きるとはどういうことかを実に言い得て妙である。
 
自己の完成を求めることも大事なことだが、あまりにも自己にとらわれるとそれが執着になってしまいかねない。それよりも、何かお役に立つことはないか、些細なことでもいいから、何か人様に喜ばれることがないかを探してできる限り勤めてみることが大事であろう。
 
宮沢賢治が「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言われたことはよく知られている。
 
それと同じように皆が幸せにならない限り、個人の悟りもあり得ないというのが大乗仏教の精神なのだ。
 
鍵山秀三郎先生は「日本をよくする法」として、

「たとえ政府が百兆円投下しても今の日本はよくなりません。後世に借金を残すだけだと思います。日本をよくするには、国民の一人一人がちょっとした思いやりや人を喜ばせようという気持ちを持つことです」

と仰せになっている。何か出来ることはないかと思うことこそ、悟りへの一番の近道なのだ。


(本記事は月刊『致知』2017年8月号 連載「禅語に学ぶ」より一部を抜粋・編集したものです)

◉月刊『致知』では、本記事のように味わい深い横田南嶺さんの禅語講話「禅語に学ぶ」を連載中(2022年11月号で第90回!)ぜひ、誌面をめくって学びと感動を大きくしてください。

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