会社で~社内木鶏会のご紹介~ 社内木鶏会で、我が社はこう変わった

代表取締役会長 遠藤和彦

企業プロフィール

向井建設株式会社
代表取締役会長 遠藤和彦 様

社名/向井建設株式会社
事業内容/躯体工事業・鳶工業・土工事・機会土工事・型枠工事・鉄筋工事・解体工事
創業/明治41年
所在地/東京都千代田区神田須田町2-8-1
社員数/689名

28歳の転機

私の故郷は、仙台から20キロほど東にある七ヶ浜町という小さな港町です。                                       家業は代々受け継がれた漁業で、小さい頃から海の上の仕事や浜作業の手伝いをしながら育ちました。

高校時代に超高層ビルが立つ過程に感動し、向井建設にエントリー、採用していただきました。                              希望通り、東北支店・仙台勤務となり、生え抜き社員として長く勤務することになります。きつい仕事にもよく耐えた分、職人たちからも可愛がられ、早い時期から管理的な仕事に携わらせてもらいました。

慢心の心で生意気に育った私の鼻っ柱が折れる大事故が28歳の時に起きました。私の事前の確認不足で、同じ歳の鳶職人が20メートル墜落し即死したのです。逃げたいという気持ちを抑えながら日々を送る中で、入社間もない頃から可愛がってくれていた親方が顔を出してくれ、「命をかけて努力するのは段取りだ。作業が始まったら、淡々と何事もなく仕事を終わらせる。それが1番だ。お前が落ち込んでいたら皆の士気も落ちてまた事故が起きるぞ」と言葉をかけてくれました。

そこから事前の前段取りに全力を尽くす日々が始まり、自信を少しずつ取り戻し、たくさんの難工事や部門運営に携わる機会を得ました。           大切な人との出会いも増え、人間的にも成長させていただきました。気がついてみると入社以来、常に同僚より早めに昇格させてもらい、32歳で課長に、35歳で部長として本社として転勤することになったのです。

『致知』との出逢い

本社で8年勤務した後は、44歳で東北支店長として仙台に戻ることになりました。出世して戻るということで成功とみられるわけですが、実際に東北支店に行ってみたら、色々な問題が一気に噴き出してきました。新入社員から36歳まで勤務した支店が「そんなことは起きないだろう」という様なことまで次から次に起きてくるのです。それも隠蔽、であったり、やってはいけないことを誤魔化してやっていたりと沢山ありました。

それが表に出た時に「こんなことが実際にあるのか」と思いました。その時点で既に相当なストレスが溜まっていたと思いますが、その話を聞いた瞬間に息ができなくなったのです。動悸が激しくなり、頭がガンガンして、倒れてしまいました。それで病院に担ぎ込まれたのですが、身体中に帯状発疹ができていました。

そうしたところ偶然に時を同じく、東京時代にお世話になっていた親方が引退をするということで、私に『致知』を送ってくれたのです。「なんだこの本は。難しいことが書いてある本だなぁ。でもいいこと書いてあるなぁ」とその親方に電話をして、御礼を伝えたところ、親方は私が具合が悪くなったということを知っていたらしく「遠藤さん、大変なんだってなぁ。私は今年で引退する。一緒に仕事をするのは叶わなくなってしまうが、何かの役に立ってくれればいいなと思って1年間プレゼントで送りましたから」と泣きながら話されるのです。『致知』との出逢いはその時からで、それからずっと読み続けています。

東北支店は8年間支店長として従事してきましたが、『致知』には歴史、古典、実際にことを成した人たちの話が満載で、たくさんの教訓を授けてもらいました。ドラッカー、中村天風、安岡正篤、松下幸之助なども読み漁りました。座右の銘を、安岡正篤氏が説く「六中観」と定めたのもこの頃です。組織運営に関するいい言葉を自分の腹に収めていき、売り上げも回復していきました。その頃会社の100周年が重なり、今の(向井)最高顧問から「あなたは社長をやりなさい。お前に託す」ということを言われました。三代続いたオーナー会社でしたから正直驚きましたが、お引き受けし、2009年、53歳で社長に就任することとなります。

大震災による逆境と価値観の転換、そして社内木鶏会導入の経緯

東京に戻ってからは、東北での成功体験=人間学をみんなで勉強していくことが大事だと思い、東京でも始めることになりますが、当時は殺伐とした雰囲気がありました。それでも会社として抜本的改革をしなくてはならないという気運はありました。就任直後の翌年2010年、新たな経営理念に「お客様と共に人生の喜びや感動を創造する」ということを盛り込むことにし、それに見合った勉強会をしていこうと思ったわけですが、当時は木鶏会というものがあることを知りませんでした。

そんな折、2011年の3月11日、東日本大震災が発生します。故郷が真っ黒い津波に飲み込まれていく映像をリアルタイムで、身の毛がよだつ思いで、テレビを見続けました。東京都内も大混乱。社長として今、何を為すべきか? 頭の中がフル回転していきました。

 対策本部を立ち上げ、家族と社員たちの無事を確認することができ、翌日から社員や協力会社の従業員たちの寝食を忘れた総力戦が始まっていきました。甚大な被害を受けた東北支店は、食糧、燃料、資材、人員が全く不足する中、全ての被災地の復旧・復興にもの凄い力を発揮し、業界において大きな存在感を示してくれました。その結果、会社の業績は、その復興特需によって受注や売り上げが上昇を続け、利益も大きく改善されていきました。

ところが、業績の向上とは裏腹に、得意先からのクレームや現場の事故が相次ぎ、せっかく工事を発注して頂いた得意先にご迷惑をかけ、連日、謝罪訪問をしなければならない事態も起きてきました。併せて、社員が退職したり、ストレスで精神的病に陥る社員も続出したりしてきたのです。

こういった事故やクレームなど不具合の多発を憂慮し、社内風土を変えなければと思い、思考性を高めるための「思考研鑽塾」を2014年より20回程2年近くやっていました。噂によると、その勉強会は「社長に迎合する人たちが集まる会」だとか「懺悔のような会で嫌だ」「いいこと言ってても、あいつは現場では何もやっていないじゃないか」といった陰口をいう人が一杯いたのです。それに憤りを感じて「これは一度変えなければ」と思い、どうしようかと悩んだ末、「いずれ新たな学びの場を作り直すから」と宣言して取りやめました。

私は、会社の健全経営の牽引役として、うまくやっていたつもりが多くの得意先の信頼を裏切り、社員たちには厳しいノルマを与え、処遇は改善せず、ギスギスした社風を見て見ぬ振りしていたのです。モグラ叩きのように、連日発生してくる問題に追い回され、体力的にも、精神的にも辛い社長業の日々を送るようになっていきました。

それでも、自分は立派な社長として弱みは見せず、常に偽善的な仮面を被り、もっともらしい話をし続けていたのです。震災から一年ぐらい過ぎたある日、意識を失い倒れていたことがあります。幸い、脳波の検査では異常はありませんでしたが、自分の中で何か歯車が狂ってきているとも感じました。体調の件もあり、会長に退任の相談をしましたが、会長は私の話を聞きながら諭してくれました。

その夜、会長や育ててくれた漁師の両親、若い頃育ててくれた先輩・親方たちの顔が思い浮かび、泣けてきて一睡もできませんでした。その分、気持ちも晴れて「前向きに歩いて倒れるなら本望じゃないか」と割り切れていきました。

そして、「学ぶ喜び、育てる喜び」を実感できる職場環境創りに総力を挙げて取り組み、お客様、従業員にとり満足度№1企業を実現する を経営ビジョンとする経営方針を宣言しました。その具体策として「社内木鶏会」を経営方針に明記し、木鶏会を開催することになったのです。

どのようにして会社は変わっていったか

時を少し巻き戻し、研鑽塾がうまくいかず、新たな学びの場の創成の必要に迫られていた時、丁度、徳望塾に参加して知り合ったご近所の会社、TTCの倉川社長から「社内木鶏会というものをやっているから一度来てみないか」とお誘いを頂きました。

 参加してみると、明るく・元気で・楽しそうで、「なるほど」と思いました。楽しさも然り、読んで感想文を書くのは本人が自分が感じたところを書けば良く、私の押し付けでなくなるので「このやり方がいいな」と思ったその矢先に、致知出版社から「社内木鶏会をやってみませんか」とお誘いをいただきました。それが、我が社の社内木鶏会の始まりでした。2018年2月、第1回・社内木鶏会を開催。以来、コロナ禍の時も含めて、一度も休まず、 毎月開催しています。

木鶏会では普段話をしない階層の社員と対等の立場になりますので、「こういう考え方をして、感想を書く社員だったのか」とか、普段話をしているのを聞いたことない人がしっかり話をしていることに気付かされるのです。

エレベーターとか玄関とかで木鶏会で一緒になった社員に「この前の話よかったよ」と声をかけると「本当ですか!」と嬉しそうに友達言葉で返してくる(笑)。出席してくれた社員とは立場を超えて、腹を割った話が本当にできる様になり、雑談タイムもあるので関係は良くなっていくというのを感じています。

東北支店でも木鶏会はやっていますが、私が出張して幹部たちとゴルフを一緒に回る時も、「今のは人間学に反するよ。学びが足りないね(笑)」なんて言って盛り上がるのです。このように、日常の会話の中に「人間学を学ぶ」という話題が、出てきました。

人生を振り返ってみて

自分自身の人生を振り返ってみて思うことは、何度も挫けそうになりながら、その時その時に周りから助けられ、大事な言葉をいただいて歩んできた人生といえます。「人の思考こそが、自らの未来を作る」という言葉も有りますが、課題はその思考性を高めるため、どう生きるかだと思っています。そして人間力を磨き、思考性を高めるための第一は、素直な気持ちで人の話を受け入れるところから始まり、それを自ら実践し実感することに有ると思えるようになりました。これからも、富国有徳の国造りに貢献できるよう一燈照隅の思いで学んで参ります。


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