人生の正念場、最悪期にいかに処していくか——中国明代の大思想家・王陽明「伝習録」の教えに学ぶ

映画会社に勤めていた20代の頃、とある事故により瀕死の重傷を負うも、病床で『老子』の教えに救われ、以来古典を愛読し続けてきた田口佳史氏。これまでに、東洋思想とリーダーシップを約2,000社以上の経営幹部に平易に説き明かし、メンターとして多くの人に仰がれています。この度、2025年に弊社が主催し、好評を博した田口氏の講座「リーダーのための古典活学講座 陽明学に学ぶ人間学」を書籍化いたしました。本書の中から、「人生の正念場・最悪期をどう生きるか」についてご紹介します。
(本記事は『王陽明「伝習録」に学ぶリーダーの人間学』より一部を抜粋・編集したものです)

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人生の正念場・最悪期をどう生きるか

王陽明は、三十七歳にてして、竜場の駅丞に流謫されます。

駅丞とは、通信交通の中継場のことです。元の時代に馬による伝令網が発達しましたが、そうしたものと思ったらよいでしょう。そこが次の任地であります。左遷などという程度ではありません。血を吐き続ける持病がある陽明からすればまさに「死に場所」とも言えましょう。

中国の地図を開きますと、四川省の南にあるのが「貴州」ですから、中心の北京から見れば、僻地そのものと言えます。刺客の難を逃れて、従者とやっとこの地に辿り着きました。任地と言っても何もありません。言葉も通じない原住民が、胡散臭そうに覗きに来るだけ。

これからの生活をする住居もなければ、自給自足の地ですから食べる物もありません。まず、雨露をしのぐ所からつくらねばなりません。

山間ですから、廃木を拾い集めて、全員がなんとか横になれるだけの部屋をつくります。最初は金を払って、付近の原地人から食物を分けてもらうしかありませんが、いつまでもそれでは成り立ちませんから、早速、適地を見つけて小さな菜園を開き、食物をつくらなければいません。水の確保も大切です。

自分も従者も都会暮しの役人ですから、これまでにやったことのないことばかりです。しかし、この住居と食物を確保しなければ、生命の保証はないのです。

王陽明は、ここで人生ではじめて「生命」と向き合ったと言ってもよいのです。

劉瑾による崔後渠投獄に抗議して以来、ここ数年は何しろ「生命」の危機ばかりの日々を暮し、その集約がこの任地での余りにも苛酷な条件による真なる「生命の危機」でありました。

まず従者が倒れてしまいます。高熱を発し、まったく食欲がない。食べないから見る間に衰弱していく。こうなると陽明がむしろ従者となってすべての面倒を見ないといけない。合間を見て、暮しのための衣・食・住を陽明一人で整えなければならない。

ここに「竜場の大悟」と後世呼ばれる陽明の開悟の要点があるように思います。従者が倒れたのは、自分の今後の人生に絶望したからでしょう。絶望は時には生命をも奪う強力な殺人鬼にも成り得るのです。

しかしそれは、陽明の側から言えば、絶望回避の妙薬になったことでしょう。なぜなら一緒に絶望してはいられないからです。責任者とはそうしたもので、部下の生命の危機をなんとか救助せねばならないと思うのが当然です。特に陽明のような人柄はです。

さらに言えば、「生命の助けを願う」気持とは、絶対的存在との対話に他なりません。
計らずも陽明は、ここ一番の集中力をもって、天とか神とかの絶対的存在と懸命の対話を繰り返すことになったのです。さらに住居の心配も一応済んだ頃には、仮り住いの奥の洞窟を開いて、日夜座禅を組み、行念に入り続けたというのです。
自分の生命と、次に従者の生命の差し迫った大きな危機に、生命と言うこの世の根源根本に達する真理を一心に思念し通した、別の言葉で言えば「生命に触れる」ことは、「五溺」と言われるまでに各種の教えに取り組んだ集大成にもなったことでしょう。

「生命に触れる」とは、一体どのようなことか一言しておきます。

私の体験、二十五歳の時の突然の生命の危機の体験から十数日は、まさに生命を考え、生命に触れる実感と思える時々刻々でした。生命を失う、また戻る、また失うの繰り返しでした。

その末に得たのは、生命とは「自分と絶対的存在を繋ぐもの」という納得でした。

別の言い方をすれば、繋いでいるのは自分なのだという自覚を持たされたと言うことです。

陽明の大悟の最初のステップこそ、この「自覚」であったのではないかと思います。
自分の根源を自覚した時に感じる自分の存在感と言ってもよいと思います。


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東洋思想研究家として江戸期の教育を研究する中で幼児教育のあり方に強い関心を抱くようになった田口佳史氏。倉橋惣三、堀合文子という保育学の先駆者の薫陶を受け、現在における幼児教育のあり方を提唱し続ける内田伸子氏。スタンスは異なるものの「幼年期の教育が日本の未来をつくる」という思いは同じである。混迷を極める日本にあって人間の根っこを養う教育はいかにあるべきか。そして課題解決のためにいまどういう手を打つべきなのか。それぞれの視点から学びたい。

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◇田口佳史(たぐち・よしふみ)
昭和17年東京都生まれ。記録映画監督としてバンコクで撮影中、水牛に襲われ瀕死の重傷を負う。生死の狭間で『老子』と出合い、東洋思想研究に転身。「東洋思想」を基盤とする経営思想体系「タオ・マネジメント」を構築・実践し、1万人超の企業経営者や政治家らを育成。配信中の「ニューズレター」は海外でも注目を集める。主な著書(致知出版社刊)に『「大学」に学ぶ人間学』『「書経」講義録』『「中庸」講義録』他多数。最新刊に『王陽明「伝習録」に学ぶリーダーの人間学』。

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