2025年10月07日
2025年6月、日本人としては佐渡裕氏以来14年ぶりに、世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を定期公演に登場し、世界から絶賛された指揮者の山田和樹氏。氏の原点には、小学生の頃の恩師との出逢いがありました。その邂逅を振り返っていただきながら、指揮者としての原点に迫ります。対談のお相手は、90歳を迎えるいまなお千葉県少年少女オーケストラの音楽監督として子どもたちの指導に情熱を燃やしている佐治薫子氏です。
(本記事は『致知』2025年10月号 対談「信じる心が運命の扉を開く」より一部を抜粋・編集したものです)
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出逢いに導かれて指揮者の世界へ
<佐治>
指揮者の道に進んだのは、何かきっかけがあったのですか。
<山田>
指揮者は、子どもの頃から漠然とした憧れがあったんです。
やはり指揮台に上がって颯爽と指揮する姿は見ていて気持ちよいですし、格好いいですから。
見様見真似で指揮の練習を始めたのは確か小学3年生の頃、合唱を指揮する木下先生の影響でした。合唱の練習が終わると、木下先生が「疲れたから次は君が代わりに指揮をしなさい」と、いろんな生徒におっしゃるんですね。
それから「いつか自分の順番が回ってくるだろう」と、自宅の鏡の前で何時間も一所懸命に指揮の練習をするようになりました。
そしてある日、私に順番が回ってきたのですが、木下先生は「山田、うまいじゃないか」と褒めてくださった。毎日練習していたので、それはそうですよ(笑)。
<佐治>
日々の努力が認められた。
<山田>
以後、木下先生が疲れた時の指揮者は私になり、高校でも入部した吹奏楽部で指揮者に選ばれました。これが私の指揮者としての原点であり、スタートです。
ただ、最終的に音楽家、指揮者の道に進もうと決意するまでには、随分悩みましたね。
他の子どもと同じように、音楽をやりながらも一方では天文学者や医者になりたいと思っていたんです。ですから、私は音楽とそうでない世界、常に2通りの夢を追っていました。
ところが、高校生になると、数学ができずに医者の夢は潰えてしまって、自分が何をしたいか分からなくなり、なかなか文理選択もできない状況に陥ったんです。
<佐治>
そこはどう乗り越えたのですか。
<山田>
ちょうどそんな時、高校2年の最後でしたけれども、木下先生が演奏会で合唱団ではなく、プロのオーケストラを指揮するチャンスをくださったんですね。自分が振った通りにオーケストラから音が出てくる。この感覚を体験したことが指揮者の道に進もうと決意する大きな後押しになりました。
1年ほどしか準備期間はありませんでしたが、学校の授業も頑張りつつ、3年生の春から本格的に指揮の勉強をはじめ、東京藝術大学指揮科に合格できたんです。
<佐治>
指揮者という、自分の信じる道を進んでいったわけですね。
<山田>
有り難かったのは、両親も先生も、自分の人生の決断は自分でしなさいと言ってくれたことです。
特に父は「これからいろんな価値観が変わり、世界情勢もどうなるか分からないけれども、文化だけは人間の活動として最後に残る」「30年後、50年後を考えて自分で決断しなさい」とアドバイスをしてくれました。
木下先生はてっきり「ぜひやりなさい」と背中を押してくださると思ったら、「自分で考えなさい」と、突き放してくださった。だからこそ考え悩み抜いて、「自分は指揮者になりたい」「ここでチャレンジしないと悔いが残る」と、本当に自分が進みたい道を見出し、決断することができたのだと思います。
「お前には才能があるから絶対に指揮者になりなさい」なんて言ってくれる人はいなかった。それが私にとってはよかったんです。
(本記事は『致知』2025年10月号 対談「信じる心が運命の扉を開く」より一部を抜粋・編集したものです)
↓ 対談内容はこちら!
◆1回1回の演奏に全力を尽くす
◆20年以上の長い付き合い
◆音楽の存在が人生を支える力に
◆出逢いに導かれて指揮者の世界へ
◆「家を一歩出たら指揮者だと思いなさい」
◆「それでいいんだよ」師匠の愛情に包まれて
◆洋裁か、音楽か、運命を分けた出逢い
◆音楽室も楽器もないゼロからのスタート
◆「最高の一音」が子どもたちを成長させる
◆音楽を楽しむ―原点回帰で次のステージへ
◆巡り合わせが人生を導く
◆感謝の心が出逢いを本物の出逢いにする
◇山田和樹(やまだ・かずき)
1979年神奈川県生まれ。東京藝術大学音楽学部指揮科で、松尾葉子氏、小林研一郎氏に師事。在学中に「TOMATOフィルハーモニー管弦楽団」(現・横浜シンフォニエッタ)を結成。2009年第51回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。以後、2012年~2018年スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、2016/17シーズンからモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督、2023年4月からバーミンガム市交響楽団首席指揮者兼アーティスティックアドバイザーを務め、2024年5月には同団音楽監督に就任。日本では、東京混声合唱団音楽監督兼理事長、横浜シンフォニエッタの音楽監督などを務める。2025年6月、日本人としては14年ぶりに、世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を定期公演で指揮し、世界から絶賛される。
◇佐治薫子(さじ・しげこ)
1935年千葉県生まれ。1956年千葉大学教育学部音楽科卒業後、音楽教師として君津市立松丘中学校に赴任。リード合奏の指導に情熱を傾け、同校を5回の全国優勝に導く。1966年船橋市立前原小学校へ転任、オーケストラの指導を行う。以後も習志野市立谷津小学校や市川市立鬼高小学校など、転任する先々で全国優勝を成し遂げ、「佐治マジック」「優勝請負人」などと高い評価を受ける。1996年教員を退職後、千葉県少年少女オーケストラの音楽監督に就任し、現在に至る。「音楽教育功労賞」(2008年)「地域文化功労者表彰」(2016年)など受賞・表彰多数。
◎各界一流プロフェッショナルの体験談を多数掲載、定期購読者数No.1(約11万8,000人)の総合月刊誌『致知』。人間力を高め、学び続ける習慣をお届けします。※動機詳細は「③HP・WEB chichiを見て」を選択ください