2025年09月24日
~本記事は月刊『致知』2025年5月号掲載記事を一部編集したものです~
小さな町工場からグローバル企業へ
私共平岡産業は日本、タイ、インドを拠点に自動車、オートバイ、電子製品などの部品を製造、販売する金属切削部品加工メーカーです。タイ人、インド人を中心に約1,400名のスタッフを擁し、売り上げは約140億円。取り引きは世界14か国に及びます。
創業は1907年、曽祖父の平岡静三郎が近代綿織物が盛んな東京・青梅の地で平岡織物という織物メーカーを開業。以来時代の変化に柔軟に対応しながら、118年の歴史を刻んできました。
創業時から事業は地域に浸透し、静三郎は地元青梅の織物協同組合の組合長を務めるほどでしたが、大正、昭和初期をピークに業績は徐々に下降線を辿り、戦後、日本の繊維工業が深刻な構造不況に陥ると、最後まで踏み止まっていた当社も事業転換を余儀なくされました。1972年に社名を平岡産業に改称し自動旋盤、精密金属切削加工業に転換。カメラを手始めにカーステレオ、オーディオ機械用シャフトなどの部品生産を地道に続けてきました。
しかし、後発ゆえに取り引き規模は小さく、経営は決して楽ではありませんでした。当時小学生だった私は、先代の父が真夜中に工作機械の切りくずを除去し、油まみれの作業服のまま床に就く様子を間近で見ながら、町工場の経営の厳しさと先代の苦労を思ったものです。そういう中でも両親や祖父母は神棚や仏壇に必ず手を合わせて、日々の仕事に打ち込んでいた姿がいまも胸に焼きついています。
逆境の中での海外進出
当社に大きな転機が訪れたのは1995年、取引先の商社から「カーオーディオの部品製造をタイで一緒にやらないか」と打診を受けたことです。低迷する町工場の活路を求めていた先代は海外進出を決断しE&H Precisionという現地法人を設立、33歳の私が社長、23歳の従兄弟が工場長、20歳の入社間もない社員が製造責任者として現地に派遣されたのです。
資金的な余裕は全くありません。銀行から1億5,000万円を融資してもらい、商社の社員と二人で事務所を借り、地元のカラオケ店の女性店員に通訳をお願いするなど文字通り手探りでのスタートでした。
日本から工作機械が届くまでの3か月間に工場を確保し、通訳を介した面接で20名ほどの現地スタッフを雇用。日本人の応援スタッフと共に作業の工程から切削技術、掃除の仕方まで丁寧に指導し、稼働に漕ぎ着けました。現地スタッフが仕事に馴染んでくれるかが何より心配でしたが、仕事への向き合い方は熱心で、摩耗した刃物を研ぎ直して正確に取りつけるという精緻な技術も見事に習得してくれました。
幸いだったのは同業者がほぼゼロだったことです。受注はE&H Precisionが一手に引き受け、カーオーディオが下火になった後は、自動車部品へのシフトを円滑に図ることができました。事業は急成長し、現在、タイ国内に4つの工場を構え、840名(うち正社員400名)の現地社員が勤務しています。
相次ぐ試練が社の足腰を強くした
タイで大きな自信を得た当社は2010年、新たにインドに進出しました。日系の工業団地を確保し、意気揚々と自動車部品の製造を始めたのですが、そこには思わぬ誤算がありました。タイと違って同業者が多く、受注金額が極端に安いのです。そのために10年間はずっと赤字続きでした。
ただ、その頃から環境規制への対応が世界規模で求められるようになり、そうなると高度な加工技術を持つ日本企業にとって追い風となることは明らかでした。赤字経営の厳しい中ではありましたが、当社も起死回生のための大規模設備投資を行い、将来に備えました。
思ってもみない試練に見舞われたのは、まさにそんな時でした。全世界を席巻したコロナパンデミックにより生産ラインがストップしてしまったのです。さらに、2016年にメキシコに進出したものの赤字で撤退を余儀なくされるという時でもありました。多くの方の支援で何とか切り抜けることはできましたが、メキシコでの失敗により精神的に追い込まれていた私にとって、コロナ禍は二重の衝撃でした。
しかし、このようないくつもの試練により、当社の足腰は確かに強くなりました。何より嬉しかったのは大規模な先行投資をしてつくったインドの工場の業績が急伸し、黒字転換を図ることができたことです。タイの工場ではコロナ禍で徹底して無駄を削ぎ落としたことが、いま健全経営に大いに生かされています。
社を発展に導いた家族主義
2025年は当社がタイに進出して30年、インドに進出して15年の節目の年。いま改めて思うのは当社の経営理念の意義です。
「会社は信頼関係で結ばれた家族のような存在である。会社の皆が誠実に・地道に・こつこつ仕事を行い、世界中のあらゆるお客様から強く必要とされる会社となり、私たちの生活基盤である会社の継続的成長に必要な適正利益を確保する。その営みを通して、社員の資質向上とその家族の物心両面の幸福を実現し、 社会に貢献する。」
これは私が2018年につくった当社の経営理念です。家族主義を謳った理念の原点には、幼少期に見た貧しくても真摯に働き続ける家族の姿があるように思えます。それはタイやインドの国民性とも合致し、社を発展に導いてくれました。
私は1995年、タイの現地法人の社長に就任して以来、今日までタイを拠点として日本やインドを往き来する生活を続けています。「外国人を相手に仕事をすることに難しさを感じませんか」と質問を受けることもありますが、いつも現場に足を運んで心を通わせれば必ず理解し合えるというのが私の信念です。民族の壁を越えた一家族という思いで、仕事の意義や目的を繰り返し語り続ける。これが私なりの教育の方法なのです。
当社には家族主義の経営理念の前提として掲げているスローガンがあります。それは「一所懸命」。文字通り命懸けで先祖伝来の土地を守り抜いた関東武士の気概を象徴する、私の大好きな言葉です。このスローガンを唱える度に、私は百年以上続く会社を守り、次にバトンを繋ぐという私自身の覚悟を促されます。と同時に、その誇るべき日本精神が国境を越えて、タイやインドの現地社員にも広く浸透していることに大きな喜びを感じます。
日本人の素晴らしさを伝える〝和僑〟の企業として、これからも従業員や家族の幸せを守り、事業と人材を通した社会貢献に力を尽くすキラリと光る存在を目指して歩み続ける所存です。
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