2025年08月22日
~本記事は月刊『致知』2025年6月号掲載記事を一部編集したものです~
亡き義父の願いに応えて人生を大転換
「経営を引き継いでほしい……」。病床の義父から頼まれたのは1988年、私が50歳の時でした。
当社は1937年、私の義父・藤本新治が地元京都府でトラック5台から始めた運送会社です。当時は珍しかった冷蔵・冷凍品の配送を手懸けて一時は多くの引き合いをいただいていましたが、従業員の相次ぐ独立などで苦境に陥り、後継の目処も立たない状態で義父は病に臥してしまったのです。
私はその頃、輸入商社で洋酒の市場開拓に情熱を傾けていました。日本人に馴染みの薄かった銘柄のウイスキーやブランデー、ワインを普及すべく、広大な担当エリアを奔走し営業活動に邁進。この仕事に心底やり甲斐を感じていました。
一方の当社は、社員数名の赤字会社。後継を頼まれた時は妻の反対もあり、結論を出せないまま義父を看取りました。
葬儀の席で向き合った義父の遺影からは、会社に対する深い愛情が伝わってくるようでした。このままではあの世で義父に顔向けができない。よし、ダメ元でいい、とことんやってみよう──肚を固めた私は、葬儀が終わると集まった親族の皆さんの前で経営を引き継ぐことを宣言したのです。
瀕死の当社を何とか立て直すため、私は前職から得た退職金をすべて運転資金として注ぎ込み、営業から配車、運転まで、あらゆる業務を無我夢中でこなしました。前夜に京都を出発して東北や四国まで荷物を運ぶこともざらでした。
当初から心懸けてきたのは、どんな仕事も絶対に断らないことでした。たとえ一回限りの小口の配送でも、真摯に対応することで再びお声がかかり、やがて大きな仕事へと繋がっていくのです。たった一件の仕事からお取り引きの始まったある大手和菓子メーカー様は、当社が年中無休でいつでも仕事を請け負うことを見込んでくださり、すべての配送業務を当社に委託してくださるようになりました。
異なる温度帯の商品を一括配送
飛躍の転機になったのが、「異温度帯商品同時共配システム」の導入です。
従来は、例えばケーキとアイスクリームなど、温度帯の異なる商品は別々に運んでいました。しかし、超冷凍・冷凍・チルド・定温と4つの温度帯の商品を一台のトラックで配送できる体制を当社が初めて確立し、コストと手間を大幅に削減したのです。
加えて、異なるお客様の荷物を乗合バスのようにまとめて配送する共配サービスも手懸け、同業者との連携で輸配送エリアを拡大したことで業績は大幅に向上。現在は社員100名を擁し、売上高14億円を計上するに至りました。
義父の願いに応えた自分の選択は、決して間違いではなかった。いまは心の底からそう実感しています。
当社が今日あるのは、創業時より常識の枠に囚われることなく、他社が躊躇する難しい仕事にも必ず道はあると信じて果敢に挑戦してきたからです。この「挑戦」の二文字こそが、当社をここまで導いてきた原動力といえます。
創業100周年の節目を間近に控えたいま、当社は現状に胡座を掻くことなくこの創業の精神を堅持し、最良の物流サービスを提供することで、お客様に喜ばれ、信頼される盤石の経営基盤を確立してまいります。
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