【取材手記】〝神の手〟に怒鳴られ、褒められて学んだこと


~本記事は月刊『致知』2025年9月号 特集「人生は挑戦なり」掲載記事の取材手記です~

福島孝徳医師の没後1年を経て

月刊『致知』ではこれまで、一道を究め、名医と仰がれるプロフェッショナルを数多く取材させていただいてきました。心臓、脳、消化器、眼、精神……それぞれの分野に、志と情熱をもって難しい症例と闘うドクターがいます。

ただ、とりわけ強烈に印象に残るという意味では、〝神の手〟を持つ男として世界的に活躍した脳神経外科の名医・福島孝徳先生が思い浮かびます。

医師として現役生活50年余り。かつて頭蓋骨を大きく割いて行われていた脳外科手術において、患者の負担を極限まで抑える「鍵穴手術」を編み出し、脳腫瘍、髄膜炎、顔面けいれんといった難しい症例を奇跡的に治癒させておられました。

その仕事量・行動量は凄まじく、全米最高峰の医学の名門・デューク大学の教授として、アメリカを中心に、日本を含む世界20か国を飛び回って執刀。「フクシマは1週間に8日働く」と言わしめるほどで、弊誌での二度の対談取材においても、溢れんばかりのエネルギーを感じました。

そんな福島先生の訃報が届いたのは2024年3月。再度、先生にご登場いただこうと、新たに企画を練っているところでした。享年81、ご縁をいただいた私たち編集部は驚きましたが、先生に命を救われた患者さんやご家族にとっては、それ以上の寂しさ、悲しみがあったことと思います。

そういう中で、福島先生に深い敬慕の念を抱き、衣鉢を継いでメスを握っている名医がいることを知りました。それが、「鍵穴手術」の免許皆伝を最初に受け、一番弟子とも言われている森山脳神経センター病院の根本暁央先生でした。

「臆病だけど、決して逃げない」を貫く

海を間近に臨む東京・江戸川区西葛西にある森山脳神経センター病院。根本先生は、週の半分程度は手術に入りっぱなしとのことで、限られた外来対応の日の夕刻にお時間を取っていただきました。会場は、他でもない福島先生が手術で来院した際に使っていたという一室をお借りして行いました。

根本先生は副病院長という肩書でありながら、全く威圧感を与えない謙虚な姿勢が第一印象でした。福島先生と弊誌のご縁の説明に加え、お持ちした福島先生が表紙を飾られた『致知』2014年2月号をお見せすると、一層喜んでくださり、和やかな空気の中で取材が始まりました。

まず驚いたのが、術後の経過観察や薬の処方といった一般の患者さん以外、手術の相談だけで日に60人見ることも珍しくないとのこと。外来の受付は午前中に限ってはいるものの、診察は午後に及び、赴任してから13年、昼食は口にしたことがないそうです。その激務ぶりが窺えます。

この穏やかな根本先生が、いかにあの〝神の手〟福島先生と師弟関係を結ぶことになったのか。伺っていくと、生き方の根底に一つの信条が見えてきました。

(根本)
医学部を卒業して研修に入ると不安を覚えました。大学病院は教育機関の性質が強い、教習所のようなもので、広範囲に高い技術を身につけるには限界があります。究極、身近な家族が病気になったら、命を他人に委ねることになりかねないからです。

どんな状況にも対応できる知識と技術、日々絶えず発見し、成長しようとする強い意志。僕はこれを「臨床力」と呼んでいます。それを磨きたいと思って、度々、優秀な先生方の手術の現場見学に行きました。

他人に依存せず、いざとなれば自分の手で患者さんを救える力、それが根本先生のいう「臨床力」なのでしょう。医師になっても、与えられた環境にいい意味で満足せず、自分の実力を高め続けようとする意志に感銘を受けました。

その中で根本先生は、福島先生とも交流のあった、患者さんの〝最後の砦〟と言われる脳外科の名医・上山博康先生(現 札幌禎心会病院特別顧問)の教えを受けるように。駆け出し医師であった根本青年は、ほどなくとある困難な症例に直面することになります。

目の前の患者さんを救いたいのに、執刀経験がないから許可が下りない。けれども、自分がやらなければ命が失われる、その当時の心境がこう語られています。

(根本)
僕は非常に怖がりなんです。でも、逃げはしない。それでは成長がないですから。そこからバイパス手術を徹底して勉強し直した上で、一つひとつ学んだことを思い返し、この操作は何分、これは何分でできると、細かく書き出して教授に提出。了承を得ました。

たとえ臆病でも、何もせずに投げ出しはしない。これも一つの挑戦ではないでしょうか。

ミスの許されないオペという場での〝挑戦〟

師弟の邂逅は、実は早くに訪れていました。最初に空間を共にされたのは30代、とある病院で福島先生のオペを見学した際。最中に突然質問を投げかけられるも、緊張して答えが出なかったそうです。時は流れて40歳になり、福島先生からアメリカで勉強しないかと思わぬ留学の打診を受けます。根本先生が大学病院に勤めながら、様々な名医の下に見学に行っていたことで、熱心さが評判になっていたというわけです。

ところが、福島先生は、他の医師が匙を投げたような患者さんを受け入れていました。それゆえ、症状は重く複雑な場合が多く、全く油断は許されません。

後年、日本に戻った根本先生は、師の名を冠して新設された千葉県の病院で手術の責任者となり、不在中を任されますが、普段はもちろん、福島先生が来日して執刀する日も常に気は抜けず。可能な範囲で手術を進めて待っておくのが理想のところ、少しでも遅れが生じれば、スケジュールが詰まっている福島先生にこっぴどく叱られたといいます。気がつけば、開院時にいた同僚はプライドが傷ついたのか、いなくなっていたとか……。

そのようなギリギリの状況で、いかに師に食らいつき、その精神や技術をものにしてきたのか。脳外科という、下手をすれば患者さんの人生を台無しにしてしまうかもしれない医療の現場で、師から弟子へと受け継がれたものとは――。根本先生は実感を込めてこう語られています。

(根本) 
決して、怒られることは損じゃなかった。怒られたポイントを振り返ると、そこに上達のエッセンスが入っていたからです

最後の会話を交わされたのは逝去の数か月前、2023年の秋でした。その時、怒られながら食らいついてきた根本先生は、福島先生から〝最高の褒め言葉〟を贈られています。そこには、医療の分野に限らず、あらゆる仕事に共通する上達の極意が含まれていました。

世界を股にかけて活躍し、絶望の淵にある患者の命を救い、家族に希望を与え続けた日本人医師の魂。その一端を、この記事からすくい取っていただければこの上ない喜びです。『致知』9月号p.46をぜひ開いてみてください。

~本記事の内容~
◇〝神の手〟は時間の使い方の達人
◇師の名にかけて合併症は出さない
◇コツコツと「臨床力」を磨く
◇ゴルフコースの片隅で
◇敬意を持ったささやかな復讐
◇努力前進――師を〝超える〟道

▼プロフィール
根本暁央(ねもと・あきお)
医学博士。昭和41年千葉県生まれ。平成4年東邦大学医学部卒業。東邦大学附属大森病院脳神経外科研修医、助教授を経て、福島孝徳医師の導きにより17年米国ノースカロライナ頭蓋底手術センター研究員、デューク大学脳神経外科研究員。19年福島孝徳記念病院脳神経外科部長。24年森山記念病院脳神経外科頭蓋底外科部長、福島孝徳脳神経センター長。27年森山脳神経センター病院副病院長。

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