2025年08月05日
女優でエッセイストとしても知られる小山明子さんは、今年(2025年)1月、満90歳を迎えられました。ご主人で映画監督の大島渚さんとの歩みやご自身の大病など、様々な人生の四季を経て、卒寿を迎えた小山さんはいま、どういう心掛けで日々人生を満喫しているのでしょうか。何歳になっても溌剌と生きる秘訣を伺いました。
(本記事は月刊『致知』2025年8月号 特集「日用心法」より一部抜粋・編集したものです)
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90歳で初めて死を意識する
──90歳をお迎えになったとは思えないくらい、お元気でいらっしゃいますね。
(小山)
ありがとうございます。90歳の誕生日にはいろいろな方からお祝いをしていただきました。私がフグが好きだといって、30人くらいの友人が会費制でフグをご馳走してくださいました。
私にとって90歳はいろいろな意味で大きな節目で、90代にして初めて死を考えたんです。80代の頃はまだ死は先だと思っていたんですけど、「ああ、私はいずれ死ぬ。近い将来、死がやってくるな」とすごく感じましたね。
──90歳で死を意識された。
(小山)
ええ。昨年(2024年)、肺がんが再発してステージⅣと診断され、ちょっと危なかったんです。放射線治療をやったんですけど、考えたらもう残りの時間が計算できる人生じゃないですか。
何年単位の人生だと思っているから、その間、絶対に元気で楽しく生きてやると考えを変えたんですよ。きょうもちょっと転んじゃったんですけど、「この程度で済んでよかった。怪我をしなくてよかった」とすぐに考えを切り替えました。
──若さを保つために、どのようなことを心掛けていらっしゃるのですか。
(小山)
規則正しい生活を心掛けています。朝は7時半に起きて昼間はお庭のお花の手入れをしたり、本を読んだり、友人と一緒に活動をしたり。夜はドラマやニュースを見て、だいたい12時か1時には休むことにしています。朝昼晩と3食きちんといただくことも大切な習慣ですね。
私、この年になってもスケジュール帳がぎっしりなんです。水泳やコーラス、それに麻雀の女子会、一口馬主もやっています(笑)。特に若い人たちと会うのはいいですね。何よりも気持ちが若返る。フルート奏者の吉川久子さんも親しくしているお一人ですけど、妹みたいだと言っていたら、「お母さんには娘みたいな年だよ」って息子に言われちゃって(笑)。
いまは年を取って昔ほど参加できなくなりましたが、海岸清掃やお花見、上映会、防災訓練といった町内会の活動にも積極的に関わってきました。有名な俳優さん、女優さんでそこまでする人はおそらくいらっしゃらないでしょうね。東日本大震災以降は、被災地の福島県大熊町の教育委員会に本を寄贈したりいろいろなボランティア活動に携わって、交流はいまでも続いています。
ご主人である映画監督の大島渚さんが病に倒れた後、献身的に介護を続けたことはよく知られていますが、女優としての栄誉や地位をあっさりと手放し、一主婦に徹した姿勢は、私たちに生きる希望と勇気を与えてくれます。大島さんとの出会いや、17年間の壮絶な介護生活などを振り返っていただきながら、人生を生き抜くうえで大切な気づきを語っていただきました。
本記事の内容 ~全7ページ~
◇90歳で初めて死を意識する
◇過去の業績や肩書きを手放す
◇戦争体験、そして女優への道へ
◇資金難の中で製作した忘れ難い映画『少年』
◇「ありがとう」は魔法の言葉
◇「主人を社会復帰させるのが自分の使命」
◇人生最高のハイライト
◇マイナスには力がある
◇小山明子(こやま・あきこ)
昭和10年千葉県生まれ。大谷学園在学中、学園のファッションショーに出演した際『家庭よみうり』のカバーガールとなり松竹にスカウトされ入社。松竹映画『ママ横をむいてて』で芸能界デビューを果たす。松竹の助監督だった大島渚と35年に結婚。平成8年に大島渚が脳出血で倒れてからは、女優業から距離を置き介護に専念。介護うつを克服しながら17年間にわたって献身的に支える。著書に『パパはマイナス50点』(集英社)『小山明子のしあわせ日和』(清流出版)など。
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