2025年08月03日
サッカー日本代表として活躍し、引退後は指導者として日本サッカー界を牽引してきた田嶋幸三氏。『致知』2017年9月号では、田島氏とサッカーの出会いから、選手時代のエピソードなどを振り返っていただきながら、「夢を持つ意味」について語っていただきました。本記事を一部ご紹介します。
(本記事は『致知』2017年9月号 特集 「閃き」より一部抜粋・編集したものです。)
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夢があるから強くなる
平成5年にJリーグができた時に、当時の川淵三郎チェアマンに呼ばれ、日本サッカー協会の仕事にも携わるようになりました。Jリーグは10チームで始まり、その年8人いた日本人監督が、2年後にチームは14に増えたにもかかわらず、4人に減少。
「このままではいけない。何とかしろ!」
との川淵さんの言葉を受け、私はドイツの指導者養成システムを日本流にアレンジしながら、ライセンス制度の改革や新しいプログラムの作成に情熱を傾けていきました。
そうした思い切った改革ができたのも、順天堂大学の小宮喜久先生(故人)や筑波大学の松本光弘先生、東海大学の宇野勝先生、現・国士舘大学理事長の大澤英雄先生など、日本サッカー界の指導者養成を担ってこられた方々が、私の考えを広い心で受けいれてくださったことが大きく、感謝してもしきれません。
また、「この改革は絶対に日本サッカー界にとってよいものだ」という揺るぎない信念を持って取り組んだことも、周囲の理解を得られた要因かもしれません。
その後、日本サッカー協会技術委員長、専務理事、副会長などを経て、昨年3月に会長を拝命いたしました。
日本サッカー界全体の環境を改革し、次の世代が育っていく土壌からつくっていかなければ、今後日本が世界で勝っていくのは難しいという強い思いがあります。
常に「世界基準」を追求しようというのがいまの合言葉です。
日本サッカー協会の理念やビジョンを示した「JFA2005年宣言」の中に、「夢があるから強くなる」という私の大好きな言葉があります。
また、吉田松陰も
「夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし
故に夢なき者に成功なし」
という言葉で、夢を持つことの大切さを非常に明快に教えてくれています。
思えば、私は幼い頃から世界のトップ選手に憧れ、常に世界を夢見て、世界への扉を開けようと努力してきました。
世界という夢を見続けてきたからこそ、自分はここまで歩んでくることができたと思うのです。
(本記事は月刊『致知』2017年9月号 特集「閃き」より一部抜粋・編集したものです)
田嶋さんの選手時代の思い出なども語っていただきました。全文は電子版でお読みいただけます。
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◇田嶋幸三(たしま・こうぞう)
昭和32年熊本県生まれ。51年浦和南高等学校サッカー部主将として全国高校サッカー選手権優勝。筑波大学大学院体育研究科修了。古河電工入社、日本代表として活躍。58年ケルンスポーツ大学に留学。筑波大学サッカー部コーチ、立教大学助教授などを経て、平成13年U-17 日本代表監督。日本サッカー協会技術委員長、専務理事、副会長などを歴任、28年より現職。
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